壺齋散人の 美術批評
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東方三賢王の礼拝:ボスの世界



中世末期の宗教画にとって最も人気のあったテーマはキリストの受難であるが、キリスト誕生を取り上げた「東方三賢王の礼拝」も多くの画家によって描かれた。ボスにも少なくとも二作ある。ここにある絵はボスの初期に属すると思われる作品だ。

このテーマは、キリストの誕生を知った東方三賢王が、馬小屋にある聖家族を祝福しに赴いたという聖書の記述をもとにしている。多くの絵では、馬小屋或は藁屋根の粗末な小屋の前に坐したマリアと幼きキリストに向かって、王たちが膝まづいている構図で描かれ、全体に厳粛さが漂っているのが普通だ。

ダ・ヴィンチもやはりこのテーマを取り上げている。未完成に終わったその絵の構図をみると、藁屋根の小屋ではなく、ローマ風の石造の建造物の前に聖母子が坐し、その前に三賢王がひれ伏している姿のほか、大勢の人たちが聖母子の周りを取り囲んで、それぞれに祝福している様子が描かれている。いずれにしても、厳粛さが画面を満たしていることは、伝統とマッチするところだ。

しかし、ボスのこの絵には、伝統とは明らかに一線を画したユニークさがある。三人の王のうち一人だけが膝まづいて、キリストに贈り物を差し出している。他の二人はそっぽをむいて、キリストのことなど気にしていないような様子である。また画面の中央にはヨセフがいて、頭をかくような仕草をしている。通常ヨセフは、画面の端の方に目立たぬように描かれたものだが、この絵では、画面の中心にいるために、かえって彼のおかしな仕草が目につく効果をもたらしている。

ホイジンガによれば、中世の末期には、ヨセフは間抜けな男として民衆の軽侮の対象になっていたというのだ。彼が頭に手をやっているのは、もしかして角が生えていないか、確かめているのかもしれない。頭に角が生えた男は、中世末期においては、寝取られ亭主を意味していたのだ。

背後の小屋には馬ではなくロバと牛がおり、小屋の中にいる二人の男たちも、キリストの事には関心を払っていない。背後に展開する街は同時代のネーデルラントの都市だと思われるが、これも何事もなかったように静かに佇んでいる。

こうしてみれば、この図柄が伝統的なキリスト誕生劇とは大きく異なっていることはあきらかだ。ボスは二人の王や背後の人物、そして都市の佇まいに、キリストへの無関心を装わせることで、同時代人たちの罰当たりな無信仰に抗議しているのかもしれない。

(板に油彩、74×54cm、フィラデルフィア美術館)





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