壺齋散人の 美術批評
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守銭奴の死:ボスの世界



中世の人々にとって死は身近な出来事だった。個人的な不幸な死があり、疫病による集団的な死があり、また戦争や宗教的対立による無残な死があった。死はいたるところに充満していたのである。それ故、人々はわざわざ注意を向けなくとも、常に死の方から人々を訪ねてきたのだが、それでもなお、死を注目し、常に死について思いをめぐらさずにはいられなかった。中世末期のもっともよく知れ渡った格言とは「メメント・モリ(死を想え)」だったのである。

ホイジンガによれば、中世人にとって死は、シンボリックな死神としてではなく、腐敗しつつある死体(ゾンビのようなもの)として、具体的にかつあからさまにイメージされていた。かわいた白骨で、抽象的にイメージされるようになるのは、もっと時代が下ってからである。

ボスのこの絵は、死神についての過渡的なイメージを表しているようだ。ここでは死は、完全に白骨化していない死体としてとらえられている。いずれにしても、死者が生者をとらえてあの世に連れて行く、そのように死は受け取られていたのである。

死を守銭奴と結びつけたのはボスの独創だ。守銭奴ほど魂の救済と遠いものはない。だからその男には、天使ではなく死神のイメージが似合っている。とはいえ、死はやはり厳粛なものだ。この絵では、窓から差し込む一条の光が、其の厳粛さを演出している。死神に気を取られている守銭奴に、天使が背後から光に注目するように進めている。

ベッドの手前では、男が金庫の蓋をあけて、怪物の差し出す金貨を受け取ろうとしている。彼が何者かは分からない。守銭奴の死に付け込んで、財産を横領しようとしているのか、あるいは守銭奴自身の在りし日の姿を現前させているのか。ともあれ死という重いテーマと、金への執着を同居させているところが、この絵の異常なところだ。

画面には爬虫類の化け物や、トンボの羽のようなものをつけた男が登場している。これらはボスのもっともボスらしさを表すイメージだ。最盛期の大作には、こうした奇想天外な化け物のイメージが、画面のいたるところを飾るようになるが、それがこの作品あたりからぼちぼち現れ始めるわけだ。その意味でも、この作品はボス理解にとってカギとなる一つである。

(板に油彩、92.6×30.8cm、ワシントンDC、国立美術館)





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