壺齋散人の 美術批評
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行商人:ボス「干草車外翼画」



三連祭壇画の両翼を閉じると、そこには外翼画が現れる。干草車の場合は、行商人を描いたものだ。干草車本体とこの絵とがどんな関係にあるのか、正確にはわからないが、本体が人間の欲望を描いていることから、この絵も、欲望と邪悪に包まれた世界を描いたのだ、とする解釈も成り立ちうる。

荒野の一本道を行商の旅人が歩いていく。杖の先を見つめている犬は、首輪をつけていることから、彼の供だと思われる。供にしては邪悪な表情だ。いずれにせよ、ボスは犬にも表情を認めたわけだ。

男の服装はよれよれだ。服装以上に男の態度もよれている。やっと歩いているといった風情なのだ。その彼が渡ろうとしている木の橋も、ひびが入って、いまにも壊れそうな感じだ。

男の足元には動物の骨が散らばり、鳥がとまっている。左手の背景では、追剥たちが被害者を木に縛り付けている。下着を奪われなかったのが、せめてもの幸いといったところか。右手では、若い男女がバグパイプにあわせて踊っている。そのまわりでは羊たちが草を食んでいる。

遠い丘の上には絞首台が見える。絞首台には梯子がかけられているから、これから犯罪者が吊るされるのだろう。大勢の人間がそれを見るために集まっている。公開処刑は民衆にとって一大スペクタクルだったと思わせる。

こうしてみると、この絵は邪悪な世界の中をとぼとぼと進んでいく旅人に託して、この世の生きにくさを表現しているのだろうか。

なお、この絵は、ボス自身ではなく、弟子たちによって描かれたとされているが、構図そのものにはボスの意図が働いているらしい。





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