壺齋散人の 美術批評
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悦楽の園:ボスの世界



「悦楽の園」はボスの最高傑作との評価が高い。トリプティクス(三連祭壇画)の形式を用いたこの作品は、他のトリプティクスが教会の祭壇を飾るに相応しい宗教的なテーマを描き出しているのに対して、宗教性は前面には出てこない。というより、人間の背徳性を前面に出しているといってもよい。そんなことからこの祭壇画は、教会の祭壇を飾るために描かれたのではなく、富裕な商人たちの現世的な道楽のために描かれたのであろうと推測されてきた。

人間の道楽を満足させるために快楽を謳歌してみせるのがこの作品のテーマである、そう考えれば作品解釈が素直にいく。先行する作品だと思われる「干草車」と「最後の審判」においては、左翼にはアダムとイブの創造と、原罪による楽園の追放が描かれ、中央では作品の主題となる干草車の行列と最期の審判の様子が描かれ、右翼で地獄が描かれるといった具合に、時間的な進行軸にそって、テーマが展開されていたのだったが、この作品では様子が少し異なっている。

左翼で描かれているのは、アダムとイブの出会いだけであり、原罪とその結果としての楽園からの追放は描かれていない。そのかわりに、原罪としての快楽への沈潜は、中央画面において、悦楽の園と言う形で、爆発的な展開を見せているのである。そして右翼においては地獄の様子が描かれるわけだが、先行作品が地獄の地獄としてのイメージ、つまり当時の民衆が抱いていたであろう地獄のイメージが描かれていたのに対して、この作品では、地獄で罰せられているのはほかならぬ快楽の罪だということが、雄弁に語られているのである。

さて、左翼画面で描かれているのは、アダムとイブの誕生である。生まれたばかりのイブを、キリストがアダムに引き合わせている。アダムは呆然とした表情でイブを見上げているが、それはアダムが欲情しているからだ。欲情したアダムにとって、周囲の世界はこれまでとはことなったイメージを帯びるようになっているに違いない。つまり彼が生きている世界は、愛の園に生まれ変わったのだ。

それ故、この画面で描かれているのは、愛の園においてアダムとイブを誘惑する様々なイメージなのである。アダムの左手のふっくらした木には様々な果実がぶら下がっている、果実をもぎ取ることは、性行為のシンボルだ。右手中ほどの棕櫚の木には蛇が巻き付いているが、このヘビはイブを誘惑して禁断の木の実を食べるように仕掛けるだろう。

中央の泉には不可解なイメージの塔が立っているが、それは愛の館を示唆しているのかもしれない。円形の支柱には丸い穴が開き、その中にフクロウがいる。フクロウは悪魔の使者として、アダムとイブを罪へとそそのかす役割を果たすのだろう。

泉の周りには、象やキリンと並んで、二本足の犬がいる。その犬の耳は大きく垂れさがっている。彼らの背後にはグロテスクな動物たちが野原を駆け回り、その更に奥には乱舞する鳥たちが描かれている。

最前景に描かれた動物たちも印象的だ。丸い水溜りの周りに様々な動物がいるが、どれもみな自然と調和しているイメージにはなっていない。鼠をくわえている猫さえ、反自然的な行為をしているかのようなイメージを抱かせる。

(パネルに油彩、220×97cm、マドリード、プラド美術館)





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