壺齋散人の 美術批評
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悦楽の園 中央画面:ボスの世界



中世ヨーロッパの人々にとっては、肉体の悦楽を肯定することは異教的な堕落であり、ましてそれを賛美することは、神への許しがたい冒涜行為だとする観念が支配的だった。しかし肉体の賛美がまったく存在の余地を持たなかったかといえば、そうでもない。中世の民衆は、たとえば「薔薇物語」のような形で、肉欲を賛美する物語を楽しんでいたし、「デカメロン」や「カンタベリー物語」といった文学作品にも、肉欲を賛美する場面は多く描かれていたものだ。

そうした肉欲肯定の作品には、「愛の園」とか「愛の館」といったものが繰り返し語られ、その中で男女が性的放縦に耽る場面も繰り返し描かれてきた。そうした性的な放縦の場面を絵画の形で描いたのが、ボスのトリプティック「悦楽の園」の中央画面だ、といっても間違いではなさそうである。

画面は三つに分割され、後景には愛の館が、中景には女性たちの沐浴する泉の周りをさまざまな動物に跨って回転する男たちが、そして前景にはおびただしい数の裸体の男女が描かれている。

背景に描かれた5つの奇妙な形の構築物が、愛の館を表しているという明確な根拠はない。しかしよく見ると、どの構築物も土台の上に尖った塔のようなものを持っているし、前面には何らかの形の裂け目あるいは穴があいている。尖塔が男根を表し、裂け目が女陰を表していることは、裂け目の奥で男女が淫乱行為に耽っていることからも、ほぼ間違いない。

中景では丸い泉の中で女たちが裸体で沐浴し、そのまわりを動物に跨った男たちが駆け回っている。動物に跨るのは、性行為の隠喩である。右手には馬に跨った三人の男たちが魚をもちあげ、その魚は自分より小さな魚を飲みこもうとしている。魚は処女凌辱のシンボルとされているので、これは是が非でも女たちと性的に結ばれたいという男の欲望をシンボライズしたのだろうと考えられる。

画面の対角線が交差する部分、つまり画面の中央に卵が描かれているが、この卵は邪淫のシンボルだとするのが有力な説である。なぞそうなのかは、よくわからないところが多い。

前景では、夥しい数の男女が様々なポーズをとっているが、それらの男女の身近には様々な果実が描かれている。果実は性的堕落のシンボルなのだ。両脇に描かれている二匹のフクロウは、悪魔の使者として、人間たちの堕落ぶりを観察しているかのようだ。

人間大の果実の皮が、男女の逢引の舞台になっているのもある。最下段中程の殻のようなもののなかには一人の裸の男がもぐり込んでおり、その男に向かってマガモが口移しでイチゴのようなものを食べさせようとしている。これも邪淫のイメージなのだろう。

こうしてざっと見ただけでも、この画面が人間の性的欲望を中心にして、その欲望の開放とそこから生じる悦楽とを、アッケラカンとした態度でおおらかに描き出している、と受け取ることができるのではなかろうか。

(パネルに油彩、220×195cm、マドリード、プラド美術館)





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