壺齋散人の 美術批評
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東方三博士の礼拝(トリプティック):ボスの世界




ボスが生涯に描いた絵の半分以上は、キリストの生涯や聖者伝説など聖書に題材をとった宗教画だ。こうした宗教画には、教会の依頼に基づいて、祭壇画として描いた場合もあるし、また敬けんな人々の依頼に基づいて描かれたものもあろう。この「東方三博士の礼拝」は、トリプティック(祭壇画)の形式をとっているが、教会の依頼によって描かれたというよりは、裕福な町人の依頼によって描かれたと考えた方が自然である。

というのも、両翼に描かれた二人の男女の跪いている姿が、そんな解釈を誘うからである。左翼の男性は聖ペテロに付き添われて、キリストに向かって跪き、右翼の女性は聖女アグネスに付き添われて跪いている。こうした構図は、「キリストの磔刑」にも見られたが、どちらも素性のあきらかでない、というよりか、聖書の記事とは全く関係のない男女が登場することから、これらの男女が絵の制作の依頼主ではないかとの推測が成り立つわけである。またそう考えなければ、どうしてこの場面に、何のゆかりもない男女が登場するのか、説明できないともいえる。

初期の「東方三博士の礼拝」と見比べると、雰囲気が非常に違っていることに気づく。前作では、どちらかというと風刺的な雰囲気が感じられた。イエスの前に敬けんに跪いているのは第一の博士だけで、ほかの二人はそっぽを向いて無駄話をしていた。またヨセフは照れくさそうな顔で頭を掻いているが、それは自分が取られ亭主であることを認めるサインだ、といった具合だ。

それに比べるとこの作品は、全体が敬けんな雰囲気に満ちている。キリストはマリアの膝の上に厳かに座り、キリストに向かって三人とも敬虔な祈りを捧げている。彼らの祈りは、両翼の男女の祈りと響きあって、この絵全体を敬虔な雰囲気に包みこんでいるわけである。

キリストたちの背後には、倒れかかった納屋が建っている。納屋の中からは半裸の男が身を乗りだし、キリストの方を見ている。彼の後ろには邪悪な表情をした男どもが控えている。恐らく男はヘロデなのであろう。

藁屋根の上には二人の男、その傍らの木にも何人かの男がへばりつき、キリストたちの様子を見守っている。また背後の草原では、二組の軍勢が向かい合っており、これから戦いが始まることを予感させる。何の戦いなのか、それはこの絵からはわからない。

遠景にある街はエルサレムと思われる。ボスは遠景を描く時には、ネーデルラントの町の風景をそのまま描き入れることが多かったが、この絵の中の町は、ネーデルラントではなく、エルサレムだというのが大方の解釈である。

また、左翼の中景では、バプテストのヨハネが廃墟の中庭に坐しているところが描かれている。この廃墟はダヴィデ王の宮殿の跡だということになっているそうだ。

(パネルに油彩、138×138cm、マドリード、プラド美術館)





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