壺齋散人の 美術批評
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十字架を背負うキリスト:ボスの世界




ボスはキリストの受難を繰り返し描いたが、中でも十字架を背負ってゴルゴダの丘へと向かうシーンを三作描いた。この絵はそのうち、二作目のものである。一作目のウィーンの絵が、広々とした構図の中心に十字架を背負うキリストの遠景像を置き、そのまわりに死刑執行人や見物人の大きな集団を描いていたのに対し、ここではキリストの像は大写しにされ、キリストの苦悩がクローズアップされるようになっている。

キリストは十字架の重みに耐えかねて今にも倒れそうである。その目は絵を見つめている観客の方を向いている。自らの苦悩をわかってもらえるのは、キリストが現に生きているユダヤの地の民ではなく、時空を超越して画面のこちらがわにいる我々なのであるといっているかのようだ。

キリストの背後で十字架を支えているのは、キレネのシモンであろう。福音書には、シモンはキリストに替って十字架を背負ったと書かれているが、ここではキリストと共に十字架を支えているのである。

シモンに語りかけているのは、良き罪びととの解釈もあるが、真相はわからない。禿頭の死刑執行人がロープを振りかざし、見物に集まってきた連中が邪悪な顔をのぞかせている。

背景の草原の中には、処女がヨハネにもたれかかるようにして絶望している。表情が見えないが、おそらく意図的にそうしたのであろう。

右手のほうへ向かって進んでいく一団の動きがリズミカルに感じられる一方、キリストの歩みは止まってしまったかのように見える。キリストは歩みを止めて我々の方に視線を送り、悔い改めない同時代人どもの邪悪さばかりでなく、およそ人類全体の邪悪さを指摘しているかのようだ。

(パネルに油彩、150×94cm、エル・エスコリアル、サン・ロレンゾ修道院)





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