壺齋散人の 美術批評
HOMEブログ本館東京を描く水彩画ブレイク詩集フランス文学西洋哲学 | 万葉集プロフィールBBS


ユダヤ人の結婚式:シャガールの恋人たち




シャガールが、ペテルブルグの美術学校での2年間の修行を終え、パリに出て来たのは1910年の秋だった。マクシム・ヴィナヴェルが、1914年までの四年間にわたって奨学金を出してくれたからだ。その前年にパリに出ていた師匠のバクストを頼り、また、多くの芸術家たちの支援をあてにしながら、シャガールはこの芸術の都で、自分の個性を磨いていくことになる。時に、シャガールは23歳の青年であった。

当時のパリには、フォービズム、キュビズム、未来派といった様々な芸術運動が渦巻いていた。そうした新しい動きに刺激されて、シャガールの画風は早速激変した。まず、色彩が非常に豊かになった。それは、パリに出て来ることによって、急激に色彩豊かな絵を描くようになったゴッホと似ていた。ゴッホの場合には、印象派の画家たちの絵に、強く影響されたのだったが、シャガールの場合には、フォービズムやキュビズムの影響が見られる。色彩に限って言えば、マチスなどのフォービズムの影響が顕著だったといえよう。

「ユダヤ人の結婚式」と題されたこの絵は、パリに来て間もない頃に描いたものである。ロシア時代の作品と比べると、劇的といってよいほど、色彩の扱い方が変化している。それまでの絵は、暗くくすんだ感じの色彩感覚で覆われていたのだが、この絵には、色彩の氾濫といってよいほど、豊かな色彩感覚が見て取れる。

これは、一夜にして皮が剥けたと言ってよいほど、大きな変身であったといえるが、それも、シャガール自身に優れた素質があったおかげだろうと思う。

(1910年、キャンバスに油彩、パリ、ポンピドゥー美術館)





HOMEシャガール次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011-2014
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである