壺齋散人の 美術批評 |
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エッフェル塔の新郎新婦:シャガールの恋人たち |
「エッフェル塔の新郎新婦」と題したこの絵は、一見すると幸福そうなイメージが溢れているように見える。しかし、この絵を描いた時のシャガールの気分は、幸福とは程遠いものだった。たしかに、第二次パリ時代の前半10年間は幸福を絵に描いたような時代だったが、それが過ぎると次第に幸福の色はあせ、シャガールの周辺には悲惨な影がさすようになってきたのである。 1933年に、ナチスはマンハイムで忌まわしい焚書事件を起こし、シャガールの絵を焼いた。これを皮切りにして、シャガールの絵は頽廃芸術という烙印を押され、没収の対象とされた。クレーも同じような目にあったが、ユダヤ人のシャガールの場合はもっとひどかった。 ユダヤ人への迫害もひどくなってきた。シャガールの個人的な体験としても、1935年にポーランドを訪れた時に、ユダヤ人迫害が本格化するのを目の前にして愕然としたのだった。シャガールは1938年に、聖書の挿し絵を描いた仕事の延長として「白い磔刑」という絵を描いているが、これはキリストの磔刑よりも、ユダヤ人の迫害に焦点をあてたものだった。 こんなわけでシャガールは、1941年にはアメリカに亡命せざるを得なくなったのだが、この絵はその亡命の直前ともいうべき時期に描かれたものである。 それにもかかわらず、この絵にはシャガールの危機意識は直接に反映されていない。エッフェル塔をバックにして新郎新婦が抱き合っている。新郎のほうがやや浮き上がっているのは、シャガールとベラを描いた「誕生日」の構図を思わせる。新郎新婦を雄鶏が先導しているが、雄鶏は周知のように豊穣な生殖の隠喩だ。雄鶏の腹のなかにバイオリンを弾いている天使が描かれているが、これはこの新郎新婦から芸術家が誕生するだろうというほのめかしか。 (1939年、キャンバスに油彩、148×145cm、パリ、ポンピドゥー・センター) |
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