壺齋散人の 美術批評 |
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赤い屋根:シャガールの恋人たち |
シャガールは1948年にフランスに戻った。娘イダにつよく促された結果だったようだ。フランスにはヴァージニアも同行したが、ふたりは結局結婚することなく終わった。最初はパリ郊外に居を構えたが、すぐに南仏に移動して、死ぬまでそこを活動の拠点にした。 1952年には、ヴァランティーヌ・フロドスキーという女性と結婚した。シャガールがヴァヴァと呼んで愛したこの女性は、シャガールと同じくロシア系のユダヤ人だった。だから、シャガールとは様々な面で気が合ったに違いない。 「赤い屋根」と題するこの絵は1953年の作だから、二人の結婚後間もない時期のものである。だから、絵には当然そういった気分が反映していると思われる。右下の、腰の所で一体化した男女はシャガールとヴァヴァなのだろう。ヴァヴァはウェディングドレスを着ており、シャガールのほうは礼服を着て花束をもっている。しかし何故かその花束は、別の女性に向かって捧げられている。この女性が誰なのかは、画面からは読み取れない。右上の男はユダヤ教の聖典を記したトーラーのようなものを持っているが、この男もなぜか、左手に浮かんでいる女性の方を向いている。 赤い屋根の連なりはヴィテブスクの街だと思われる。それに向き合うように、左上の端のほうには、ノートルダムが描かれている。これは、二人がロシア系のユダヤ人として文化的背景を同じにしながら、パリで出会ったということを象徴的に表現しているのだと解釈出来よう。 ヴィテブスクの街並とパリの街景を併せて描くやり方を、シャガールはこの後も繰り返している。 (1953年、キャンバスに油彩、230×213cm、パリ、ポンピドゥー・センター) |
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