壺齋散人の 美術批評
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イエスの御名の礼拝:エル・グレコの幻想



エル・グレコはスペインに来て間もなく、フェリペ二世から二点の絵の注文を貰った。造営中だったエル・エスコリアル修道院の礼拝堂を飾るための絵だった。もし、この仕事に成功すれば、エル・グレコにはスペイン王家の宮廷画家としての道が開かれるはずだった。エル・グレコがスペインに来た最大の目的はそのことだったのである。

その二枚の絵のうちの一枚が「イエスの御名の礼拝」と呼ばれるこの絵である。二枚のうちでは小ぶりなほうだが、出来栄えはこちらの方が優れているというのが、大方の評価である。イエスの御名の礼拝というのは、画面上部に書かれた「イエス」という文字に、画面上の殆どの人々が敬虔な視線を送っていることから来ている。その人々の中で、下部中央の黒衣を来た人物がフェリペ二世だと言われる。フェリペ二世が描きこまれていることから、この絵は「フェリペ二世の夢」とも「フェリペ二世の栄光」とも呼ばれることがある。

しかしこの絵を見たフェリペ二世は、満足するどころか拒絶反応を示したと言われる。画面の中で、フェリペ二世だけはキリストの御名とは異なった方向を向いているし、また膝まずついている姿が王者に相応しくないと思ったからかもしれない。それ以上にこの絵は、こうした主題をめぐるスペインの伝統的な画法から非常に逸脱していた。原色を多用しているところがけばけばしく感じられ、また画面右下の大きな鯨の口が人々の度肝を抜いた。鯨の口は地獄の入口のメタファーとして、イタリアやフランドルではなじみのものだったが、スペイン人には始めて見るものだったのである。

キリストの御名の礼拝の場に、なぜ地獄のイメージが付きまとうのか。聖なるキリストへの敬虔な礼拝に地獄を持ち込むのは不謹慎だという意見もあったようである。美術史の研究からは、エル・グレコはこの絵に、最後の審判のテーマを絡ませたということがわかってきた。最後の審判だから、地獄の入口があってもおかしくないわけだが、もしそうなら審判者としてのキリスト自身が上座にいなければならない道理だ。

(1580年頃、キャンバスに油彩、140×109.5cm、エル・エスコリアル修道院)





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