壺齋散人の 美術批評 |
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聖マウリティウスの殉教:エル・グレコの幻想 |
スペイン国王フェリペ二世の依頼に基づいて書かれた二点の絵のうち、「聖マウリティウスの殉教」と題するこの絵は、エル・エスコリアル修道院の聖堂を飾る祭壇画のメインとなる絵であった。高さが4メートルを超えるこの巨大な絵を、エル・グレコは修道院の完成セレモニーにあわせる形で仕上げたのであったが、それを見たフェリペ二世は、これを修道院の聖堂に飾ることを許さなかった。人々の信仰を掻き立てるよりも、萎えさせるというのがその理由であった。 この絵のテーマは、フェリペ二世自らが決めて、エル・グレコに支持したものであった。聖マウリティウスは古代ローマ時代にキリスト教のために戦って死んだ聖人であるが、反宗教改革のうねりの中心にあって、カトリックの信仰を盛り立てたいと思っていたフェリペ二世は、この聖人の事績を描いた絵を、完成したばかりのエル・エスコリアル修道院の聖堂に飾り、人々の信仰心を掻き立てたいと願ったのだった。ところがこの絵は、人々の信仰を愚弄するようなものだ。そうフェリペ二世は感じて、この絵を拒絶したのだとされる。もっともエル・グレコには相当の報酬を与えたのだが、宮廷画家として引き続き使うことはなかった。 聖マウリティウスの殉教というのは、キリスト教徒だけで構成されていた軍団を率いていたマウリティウスが、遠征先で上官から、現地の異教徒の風習に従って生贄をささげろとの命令に従わなかったために、上官によって軍団全体が皆殺しにされたというものである。絵は、その出来事を三つの場面に分け、異時同図法に従って展開している。すなわち、下部の遠景にローマ軍の行進を、中景に殺害の場面を、前景に同志たちと話し合うマウリティウスを描き、上段にはマウリティウスらの魂を迎え入れる準備をしている天使たちを描いている。 この絵の何がフェリペ二世の気に入らなかったのか。詳細は分からないが、前景で話し合う人々の様子が殉教の緊迫感を感じさせないこと、人体の描き方がスペイン絵画の伝統からあまりにもかけ離れていることなど、いくつかの点が指摘されている。 (1584年頃、キャンバスに油彩、448×301cm、エル・エスコリアル修道院) |
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