壺齋散人の 美術批評
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十字架のキリスト:エル・グレコの幻想




「十字架のキリスト」もエル・グレコの好んで描いた主題であり、多数のバージンが残されている。日本の国立西洋美術館が所蔵するこの絵は、晩年のものである。このように多数のバージョンがあるということは、それだけ需要が高かったということだろう。多くの需要に応えるために、工房の手も入ったと思われるが、この絵にも明らかにグレコ以外の、弟子たちの手が入っていることが指摘されている。

この図柄は伝統的なキリスト磔刑図とは大分趣を異にしている。伝統的な図柄においては、キリストは十字架の上で息絶え、その無残な死骸を、聖母マリアを始め何人かの人々が見上げているというものが多かった。ところが、この絵では、キリストは十字架の上で弧絶して描かれ、しかも断末魔の痛みに耐えている姿として描かれている。

こうした図柄は、ミケランジェロのキリスト磔刑図が嚆矢だとされる。ミケランジェロがヴィットリア・コロンナに贈ったとされる磔刑図のデッサン(大英博物館所蔵)においては、キリストは十字架の上でヘビのように実をくねらせ、傷みに耐えた無残な表情で天を見つめている。エル・グレコのこの絵は、ミケランジェロの図柄をそのままに左右反転させて使ったのではないか、と言われている。

だがミケランジェロの磔刑図とは異なる所もある。この絵の中のキリストは、ミケランジェロのキリストのように苦痛にゆがんだ顔はしていない。むしろ平安さを感じさせる表情で、天を見上げている。その姿が、見る者に、この世を超越した厳粛さを感じさせる。この絵が高い人気を誇った理由には、こうした宗教的な背景があるのではないか、と思われる。

(1610年頃、キャンバスに油彩、95.5×61cm、東京、国立西洋美術館)





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