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未開の物語(Contes barbares):ゴーギャン、タヒチの夢





「未開の物語(Contes barbares)」と題するこの絵も、強い精神性を感じさせる。この絵を通じてゴーギャンは、未開であるポリネシアの神話的世界と並んで、アジア的な宗教性とか、ヨーロッパ的な文明とかを併置することで、人間の営みの意味を、見るものに考えさせようとしたようである。

右側の赤毛の若い女は、トホタウアだという。中央の人物は、女とも男ともつかぬ姿で結跏趺坐の姿勢をとっているが、これは仏教的なものをイメージしている。左側の男は、邪悪な表情をしているが、この邪悪さが西洋の精神的なあり方のシンボルとなっている。

この三者が、ヒヴォア島の森の中で、並んで座っているのは、どういう意味なのか。伝わってくるのは、ポリネシアと南アジアの穏やかな精神性に対比される、西洋的なものの邪悪さである。ゴーギャンは、自分が見捨ててきた西洋と、死ぬまで和解できなかったようだ。

人物の群像がやや左に寄りすぎていて、構図の上で不安定になっている。それを右手の白い花でバランスを取ろうとしているようだが、これはあまり成功しているとはいえない。対して背後のピンクの花には、神話的なイメージが漂っている。

なお、左手の西洋人のイメージは、ゴーギャンがブルターニュに滞在していたときに知り合ったオランダ人画家ヤコブ・メイエル・デ・ハーンを描いたものだ。ゴーギャンはこの男の肖像画を1889年に描いている。下の絵がそれだ。その時の絵を、そっくりそのままここに採用したわけだ。ゴーギャンはこの絵を、黄色い光輪の自画像と対をなすものとして描いた。自画像のゴーギャンが天使を気取っているのに対して、デ・ハーンのほうは邪悪な死霊のような表情をしている。(1902年 カンヴァスに油彩 130×89cm エッセン フォルクヴァング美術館)







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