壺齋散人の 美術批評
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死霊が見ている(Manao tupapau):ゴーギャン、タヒチの夢





テウラとの生活は、ゴーギャンにとって幸福な毎日だったようだ。彼女は年のわりに大人びていて、ゴーギャンが仕事をしているときは黙って邪魔をしないようにつとめ、暇なときには現地の神話を語ってくれたりした。そんな折に、テウラが神話の中に出てくる死霊に脅かされるという出来事が起った。それをゴーギャンは「ノアノア」のなかで次のように書いている。

ある日ゴーギャンは所要でパペーテに行かなければならなかったが、深夜に戻ってくると、テウラがベッドの上でおびえている。「ドアをあけると、ランプは消え、部屋は真っ暗だった・・・じっとして、裸のまま、ベッドにうつぶし、恐怖のあまり眼を法外に大きく見開いて、テウラは私を見つめ、しかも私だと分からないでいるようだった。この私も、しばらくは、奇妙にどっちつかずのままでいた。テウラの恐れが伝染してきた。ひたと見つめるその眼から、燐光のあふれ出ているような気がした」(岩切正一郎訳)

この絵は、この記述をそのまま絵にしたものだ。裸のままうつぶせに横たわったテウラが、不安な眼をこちら側に向けている。テウラの背後にはなにやら気味のわるいものがいるが、これはこの記述の後で出てくる死霊(ツパパウ)だろう。テウラはこの死霊に見られていると感じて、こんなにもおびえていたのだ。

正気にもどったテウラは、もう二度とこんな暗いところに自分を一人にしないで、と言った後、ゴーギャンがパペーテで何をしてきたか、もしかして町の女を抱いたのではないかと、しつこく問いただすのだ。タヒチの女も嫉妬するのである。



これは、テウラの表情を拡大したもの。死霊におびえているところがよく現れている。なおゴーギャンは、このポーズを木版画にもしている。(カンヴァスに油彩 73×92cm バッファロー オルブライト=ノックス美術館)





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