壺齋散人の 美術批評
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悪魔の言葉(Parau na te Varua ino):ゴーギャン、タヒチの夢





ゴーギャンは「死霊が見ている」で、死霊におびえているテウラの裸の姿を描いたが、この「悪魔の言葉(Parau na te Varua ino)」では、悪魔に語りかけられているテウラの裸体を描いている。ゴーギャンは「ノアノア」の中でタヒチの神話についてかなりくわしく触れているが、悪魔については触れていないので、この絵のイメージが何を物語っているのか、判然としない。

一つの解釈として、ゴーギャンは聖書に出てくるイブの神話をイメージしていたのではないか。ゴーギャンには「タヒチのイブ」と題した作品もあり、自分の愛するテウラをイブのイメージに重ねた可能性はある。だとすれば、この絵の中のテウラが、自分の裸を恥らっているように見えるのも理解できる。彼女は、蛇ならぬ悪魔から知恵を付けられたために、裸を恥らうようになったのだ、とも解釈できるわけだ。

背景はタヒチの原生林だと思うが、ゴーギャンにしてはかなり念の入った描き方だ。やはり悪魔のイメージが、絵画をおどろおどろしくしたのではないか。その肝心の悪魔は、あまり怖そうには見えない。タヒチの悪魔は、タヒチ人同様、お人よしらしい。



これは、「悪魔の言葉」のための習作。パステル画である。テウラのほうは、完成作品とほぼ同じだが、悪魔のほうはテウラのすぐそばに、ぞんざいに描かれている。テウラは実写で、悪魔はゴーギャンの想像なのだろう。(カンヴァスに油彩 91.7×68.5cm ワシントン ナショナル・ギャラリー)





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