壺齋散人の 美術批評
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レウカディア:ゴヤの黒い絵




聾の家一階食堂の入口を入った手前左手の壁に書かれているのが「レウカディア」と題した絵(147×132cm)である。レウカディアは、妻のホセファ・バイエウが死んだ翌年あたりにゴヤの家の家政婦としてやって来たのだが、すぐにゴヤの愛人になった。彼女がやって来た時、ゴヤはすでに67歳の老人であったが、ホセファに20人もの子を宿らせたほどの勢力はまだ衰えておらず、早速彼女にも子を授けたのであった。その時レウカディアは人妻の身であったが、カトリックのスペインでは離婚が許されなかったので、彼女は不倫という形で、ゴヤと結びついたのだった。その後レウカディアは、ゴヤが死ぬまで一緒に暮し、ゴヤの死をみとった。

この絵は、そのレオカディアを描いたものである。私設ミュージアムの最も目立つ場所に彼女の肖像を置いたことには、彼女に対するゴヤの相当の思い入れがあったのだと思われる。

絵の中のレウカディアは、まだ若く見える。それもそのはず、この当時の彼女は32歳だったのだ。頭には黒いヴェールをかぶり、やはり黒いロングスカートを穿き、黒紗の肩かけを羽織った姿は喪服姿である。彼女の表情は、喪服に相応しく憂いを帯びている。彼女が寄りかかっている岩は、鉄の柵があることから、墓場だということがわかる。その墓場に入っているのは誰あろう、ゴヤ自身だと思われる。この絵を描いた時のゴヤはすでに74歳になっていたから、死後のことが気になる年齢だ。ゴヤは、自分の死をレウカディアに託して、極楽浄土に行きたいと願ったのかもしれない。

実際のレウカディアは、マドリード一番のがみがみ女と呼ばれたほど、気の強い女性だったらしい。この女性にゴヤは始終頭が上がらなかったと言われるが、彼女の口うるさい罵り声は気にならなかった。ゴヤは40代で聴覚を失って以来、音という音を聞くことがなかったからだ。

ゴヤがこのレウカディアを深く愛したことは、さまざまな証言から知られる。ゴヤの最晩年には、娘のロサリートをつれて亡命先のボルドーまでついていき、そこでゴヤの臨終をみとった。





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