壺齋散人の 美術批評 |
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我が子を食らうサトゥルヌス:ゴヤの黒い絵 |
聾の家一階食堂入り口を入って正面左手の壁に、「レウカディア」と対面するように描かれているのが「我が子を食らうサトゥルヌス」と題する絵(146×83cm)だ。暗黒をバックに浮かび上がった醜悪な怪物が、子どもを両手で鷲掴みにし、その左腕を食いちぎろうとしている。子どもの頭と右腕は既に食いちぎられていて、その傷跡からは夥しい血が流れ出し、サトゥルヌスの両手を赤く染めている。子どもを貪り食っている怪物の目は、驚愕した人の目のように、怯えた様子に見えるが、それは、我が子を食わねばならぬおぞましい運命に怯えているように見える。 この子どもを食らっている怪物は、ローマ神話に出てくる農耕の神サトゥルヌスである。サトゥルヌス自身には、残酷なイメージは毛頭なかったようなのだが、これがギリシャ神話のクロノスと結びつくことで、クロノスの持っていた残虐のイメージが、サトゥルヌスにも乗り移り、このような絵が生まれる機縁にもなったのだと思われる。 ギリシャ神話によれば、クロノスはウラノスとガイアの息子として生まれたが、父親のウラノスを追放して自分が支配者となった。ところがその自分自身も、自分の子どもによって追放される運命だと知ったクロノスは、生まれてきた子どもたちを次々と食ってしまった。しかし、そのクロノスも最後には、利口な息子ゼウスによって倒されてしまった、という。 このクロノスの神話がサトゥルヌスに投影されたわけだが、このテーマを描いたのはゴヤが最初ではない。この絵が描かれた180年も前にルーベンスがやはり同じテーマで描いている。ルーベンスの画では、サトゥルヌスは、右手に大鎌の柄を握り、左手で子どもを掴んで食らいついている。しかし、うつむき加減の表情からは、ゴヤのような陰惨な迫力は伝わってこない。 このルーベンスの絵は、マドリードの王宮に飾られていたから、ゴヤはそれをよく見慣れていたはずだ。だから、それから一定のインスピレーションを受けたことは想像に難くないが、ゴヤの絵のほうが、ルーベンスをはるかに凌ぐ迫力を見る者に感じさせる。 ともあれ、ゴヤがなぜこのようなテーマを、純粋に私的な感興から描く気になったか、興味深いところだ。(ゴヤは妻のホセファに20人もの子を産ませたが、それらが一人を残してことごとく死んでしまったので、それを深く恥じたという説もある) |
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