壺齋散人の 美術批評
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異端審問:ゴヤの版画



(あの塵埃)

ゴヤの生きていた時代には、異端審問所がまだ存在して活動していた。それは、もともと宗教裁判として始まり、異端の考えを持った者を断罪していたのだが、ゴヤに時代になると、宗教的な異端者ばかりでなく、政治的な反政府分子を弾圧する手段としても使われていた。実際多くの自由主義者たちが異端審問の対象になったのであり、ゴヤ自身にも、異端審問所から呼び出されるということがおこった。ゴヤが晩年フランスへ移住したのは、ひとつには異端審問から逃れるためだったとも言われる。

この絵にあるように、異端者は三角帽子をかぶされて被告席に座らされ、そこで異端を審議する修道士から有罪の決定を受ける。罰の中で一番重いのは、火あぶりの刑であった。この絵の中の異端者も、力なくうなだれているところからして、火あぶりか、あるいはそれに相当する極刑を受けるのかもしれない。

題名にある「あの塵埃」とは何をさすのか。定説はない。異端者を取り囲んだ群衆のたてる塵埃だろうか。この絵にはそうした夥しい群衆が、見物人として被疑者を見上げているが、この当時には、異端審問は心おどる見世物でもあったのだ。


(救いの道はない)

これは異端審問所の審決を受けて、刑場に引かれていく罪人の女だ。長い三角帽子をかぶせられ、首枷をあてられている。彼女の乗った馬のまわりには、夥しい見物人が押し寄せている。あとしばらくしたら、この女が火であぶられる眺めを見ることができるのだ。どうして興奮せずにいられよう。

題名には「救いの道はない」とある。何故なら、この女は醜い上に一文無しだからだ。見られる姿だったなら、好色な修道士の妾として救われたかもしれないし、金をもっていたら審問官を買収できたかもしれない。そのどちらもなかったならば、「救いの道はない」というわけだ。





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