壺齋散人の 美術批評 |
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非理性としての怪物:ゴヤの版画 |
(理性の眠りは怪物を生む) この絵は、もともとは版画集「きまぐれ」の扉絵として考案された。題名の「理性の眠りは怪物を生む」からして、「きまぐれ」全体に共通するテーマをあらわしているかのようである。もっとも、この作品は最終的には、第43番目の枠に挿入されることになった。 理性が眠ることによって生まれる怪物とは、おそらく理性の欠如としての非理性のことをさすのであろう。啓蒙時代を通じて、ヨーロッパでは、非理性とは狂気として捉えられていた。その狂気が形となったものが怪物である。この絵は、そうした怪物としての狂気を描いているのだと考えられる。 大きな台に体をもたれかけて男が眠る。すると大勢の鳥の化け物が男の周りを飛び回る。この鳥の形をした怪物こそが、非理性としての狂気をあらわしているのだろう。男の足元には一匹の犬が控えていて、なにやら不思議そうな表情をしているが、この犬には無論、怪物の姿は見えない。なぜなら怪物は理性の眠りの中の(無意識の)現象だからである。 (たっぷり吸わなきゃ) この絵にも、鳥の怪物が出てくる。しかし、上の絵の場合と違って、登場人物たちは寝ていない。彼らは、目覚めていても、理性から疎外されているというように。 題名からして、前景の二人の人物が何かを吸っているのは間違いない。幻覚を引き起こす麻薬のようなものなのかもしれない。人間は、たとえ目覚めていても、幻覚に見舞われれば、寝ているのと違いはない。この絵の中の鳥の怪物は、彼らの幻覚の内実だと解釈できないでもない。 手前のバスケットには、小さな子どもらしい生物が詰まっている。堕胎された胎児ともみえる。そうだとしても、幻覚の怪物とバスケットの中の胎児とにどのような関わりがあるのか、よくはわからない。 |
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