壺齋散人の 美術批評
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妖怪:ゴヤの版画



(小悪鬼たち)

ヨーロッパには妖怪とか妖精とか呼ばれたものの実在が、中世から近世にかけて広く信じられていた。これは一方では聖書に出てくる悪魔との関連性を感じさせるが、他方ではキリスト教の普及によって抑圧されたヨーロッパ土着の信仰に起源があるとも考えられている。それには従って、邪悪な存在としての側面と同時に親しみやすいといった側面もある。シェイクスピアの喜劇に出てくるパックやアリエル、そしてキャリバンといったものたちは、こうした妖精の両義的特徴を最もよく備えたものだと言えよう。

ゴヤが小悪鬼と言う時、それには妖精としての親しみやすい側面よりも、邪悪な側面の方が強調されているようである。ゴヤはこの悪鬼を、人間の貪欲や邪悪さと結びつけているからである。

「小悪鬼たち」と題したこの作品は、聖職者たちの偽善的な欲望を風刺したものだと解釈されている。彼らの表情を見ると、たしかに鈍欲さや厚かましさを感じさせるが、しかし、憎めない陽気さも感じさせる。やはり妖精というのは、基本的にはプラス・マイナス両義的なものだったようだ。


(おめかしっこ)

この絵に出てくる妖怪たちは、なにやらリラックスしているように見える。とりわけ、手前の二人の妖怪は、一方が他方の足の指の爪を切っている。その様子が猿の毛づくろいの儀式を思わせる。題名にある「おめかしっこ」は、この毛づくろいのような、身だしなみの行為を指していると考えられるが、その行為は、絵の中では、交互にではなく一方的になされている。

背後にいる妖怪には羽が生えているが、これはキリスト教の悪魔を感じさせる。その表情は、手前の妖怪たちよりも邪悪に見える。

そんなところから、この三人の妖怪の内、手前の二人はプラスイメージの妖精を、背後の一人はマイナスイメージの悪魔を象徴しているようである。





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