壺齋散人の 美術批評 |
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生への執着:ゴヤの版画 |
(死ぬまでは) 人間、いつまでも若々しく、できるだけ長生きしたいという願望は持っている。その願望は、それ自体としては健全なものだが、あまり度を過ぎるとグロテスクさを呈することになる。とりわけ、年老いたものが、年相応に振舞わず、いつまでも若いつもりでいるような場合に、そのグロテスクさは頂点に達する。 「死ぬまでは」と題したこの作品は、老いのグロテスクさをテーマにしたものだ。一人の老女が鏡を前にして、お化粧に余念がない。彼女の頬はこけ、口はゆがんで、いわゆる老醜をさらしている。ところが、この老女は自分の老いに向き合おうとしない。せっせとお化粧すれば、若く見えると思い込んでいるようである。 老女を取り囲む三人の人物は、それぞれ神妙な顔つきで老女のお化粧を見守っている。背後にいる女は、美容師だろうか。なにやらためになる忠告をしているようである。二人の男のうち、一人は忠義面をしているが、もうひとりはあきれた表情を隠さない。いくらおめかししても、老いの現実は隠せませんよ、と言っているようだ。 この絵の老女が誰なのか、長い間議論されてきた。王妃マリア・ルイサではないかとか、オスーナ公爵夫人ではないかとか、いろいろ憶測されてきたが、どれも確固たる裏づけはない。にもかかわらず、そんな憶測のほうが、この作品の評価を彩ってきたのである。 (これでもまだくたばらぬ) これは、生へ執着するあまり、墓場から出て娑婆に戻ろうとする死者をテーマにしたものだ。死者が、自分の墓穴の蓋を持ち上げて、外へ出ようとしている。全裸なのは、どういうわけか。スペインでは全裸で埋葬する習慣があったのか。それともゴヤがわざとそう描いたのか。 この作品は、ボードレールが美術批評の中で取り上げている。ボードレールは、死者が墓穴の蓋を持ち上げようとするが、その蓋を怪物どもが押さえつけて、持ち上げられないように邪魔をしていると書いているのだが、どうやら記憶違いのようだ。絵を見ればわかるとおり、蓋はやっとの思いで持ち上げられ、全裸の死者とともに別の死者たちも外へ出ようとしている。 |
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