壺齋散人の 美術批評
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変身:ゴヤの版画



(何と勿体ぶった奴らだ)

ゴヤの場合、人間が動物に変身するのは、強欲や怠惰といった悪徳のむくいとしての意義を持たされている。この絵の中では、二人の人物がロバに変身し、それぞれ猛禽類の顔を持った男と豚面の男を背中に担いでいる。彼らは何ゆえに、動物に変身したのだろうか。

これはあくまでも憶測だが、ロバへの変身は怠惰のむくいと考えると都合がよい。人間として怠惰であったものが、ロバになって荷を担がされるわけだ。しかも担いでいる荷は、同じ人間である。他人を背に担ぐというテーマは42番目の絵「お前には担げまいて」にも出てくるが、そちらは人間がロバを担いでいた。その関係がこの絵では、逆になっているわけだ。

猛禽類と豚面のほうは、何のむくいだか、にわかには憶測できない。だが、ロバ=人の背中に乗っているということは、人民に君臨している隠喩とも考えられ、もしそれが妥当なら、これらの動物は支配者たち、つまり王党派や聖職者たちの可能性が強い。


(香油で清めるまで待て)

この絵は、二人の老人が一頭のヤギの脚を一本ずつ握っているところを描いている。ヤギは、人間が変身したものだとも考えられる。二人の老人のうち一人はロバのような耳をもった翁であり、もうひとりは老女である。その彼らがなぜヤギの脚を握っているのか。

題名にある香油は、臨終の塗油の儀式のことを思われる。とするとこの変身したヤギは、まさに臨終にいるのだろうか。それにしては、まだ生き生きとしている。

恐らくこのヤギは、死の恐怖から逃れようとして暴れているのではないか。老人たちはそんなヤギに、香油を塗ってじき楽にさせてやるから、そうあわてなさんなと言っているようにもとれる。





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