壺齋散人の 美術批評
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妖術の修行:ゴヤの版画



(美しい女教師)

老婆と若い女が箒に跨って空を飛んでいることから、これは妖術の訓練を描いたものだと、題名からも推測できる。老婆が前で若い女が後と言うことは、若い女のほうが教師なのだろう。題名もそのように仄めかしている。年長者が年少者を教育するというのが普通だから、これはその普通の想念から外れているわけだ。魔女の世界には、このようなことは当たり前だ、といわんばかりに。

若い女の豊満な身体と老婆のたるんだそれとがコントラストをなして、なんともおかしみのある雰囲気を醸し出している。老婆の顏は、頬がこけ目がくぼんで、髪の毛は半分抜けかかっている。一方若い女は、老婆の肩に両手をかけて、顔は隠している。二人が跨っている箒を陰茎の隠喩だとした説もあるが、これは老婆の顏に漂う恍惚感に注目した見方だ。

フクロウは、ゴヤの場合には、妖怪を意味する。妖怪が魔女たちの前に飛んで、彼女らの飛行訓練を見守っているつもりなのだろう。殺伐とした風景を背景に、二人の魔女とフクロウとが微妙な運動感を醸し出している。


(それ吹け)

痩せこけた魔女が子供の両手両脚を鷲掴みにして、子供の尻から屁を吹かせている。題名からしてもこの絵は、放屁訓練のようである。放屁にどんな意味があるのか、よくはわからないが、恐らく魔女たちにとっては、重要な能力のひとつなのだろう。

魔女の周りには、やはり痩せこけた男たちが取り囲み、空中には不気味な雰囲気をたたえた女たちが浮かんでいる。彼女たちも魔女の仲間なのだろう。

この絵は、「魔女たちの夢」をテーマにしているとする解釈もある。





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