壺齋散人の 美術批評
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束縛:ゴヤの版画



(我々を解き放してくれる者はいないのか)

この絵は、結婚の束縛を描いたものだとされる。二人の男女が互いに縄で結びあわされ、離れようとしても離れることができない。一羽の巨大なフクロウが飛んできて、女のほうを連れ去ろうとするが、束縛があまりにも強いために、女だけを連れて行くわけにはいかない。

女の顔が悲壮感に満ちているのはわかりやすいが、男の方も必死の表情をしている。別れ別れになりたいのは、お互い様なのだ。

ゴヤは後年、「妄」シリーズの版画の中でも、「結婚の妄」を取り上げるが、その際にも結婚の束縛が、男女が背中合わせに結び付けられていることで示されている。当時のスペイン人にとって、結婚はビジネスのようなものであったわけで、それに重きを置くものはあまりいなかったと思われるが、中にはこのように、愛のない結婚から解放されたいと願うようになる男女もあったようだ。


(もう時間だ)

版画集「きまぐれ」の最後を飾るのがこの作品だ。最後の一枚に相応しく、「もう時間だ」という題名がつけられている。版画を見ている人にとっても、版画の中の人物にとっても、「もう時間だ」ということなのであろう。

版画の中の人物たちは、例によって聖職者たちだ。彼らは、伸びをしたり、いびきをかいたり、歌を歌ったりしているが、どれもこれも、世の中にとって有意義なことはない。彼らは世の中に寄生する余計者なのだ。

「もう時間だ」という題名には、これらの余計者たちがそろそろ姿を消す時間だ、という意味も込められているようだ。ゴヤがこの版画を制作していた時期には、スペインの歴史が変ろうとするかの希望があった。その希望が、この絵の中で逆説的な表現をとったのだと思われる。

この絵は、「魔女たちの夢」をテーマにしているとする解釈もある。





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