壺齋散人の 美術批評 |
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1808年5月 対仏戦争の始まり:ゴヤの版画 |
(来るべきものの悲しき予感) 版画集の冒頭に予定されていたのが、「来るべきものの悲しき予感」と題するこの作品である。これとほぼ同じ構図の宗教画「オリーブ山でのキリスト」を、世俗風に描きなおしたものと言える。この構図でゴヤは、来るべき戦争の惨禍への予感を表現しているものと思われる。 (理由があろうとなかろうと) この作品は、対ナポレオン戦争の発端となった、1808年5月のスペイン民衆の蜂起をテーマにしている。この5月2日に、スペインをフランスの属国にしようとする動きに反応した民衆がマドリードで蜂起した。その蜂起はやすやすと鎮圧され、蜂起の首謀者たちは翌3日に公衆の面前で銃殺刑に処せられた。この作品は、その銃殺刑の様子とも、あるいは蜂起の様子とも受け取れる。 蜂起の様子と考えたほうが説明がつきやすいだろう。というもの、銃を構えたフランス兵に向かって、スペイン人は粗末な武器をもって立ち向かっているように見えるからである。 スペイン人たちが、観覧者に顔を向けているのに対して、フランス兵たちはみな顔を背けている。スペイン人には人間としての表情があるのに対して、フランス兵には人間の表情ではなく、無機的な機械のような動きが見えるだけだと言わんばかりである。 (1808年5月3日) これは、上の作品と同じ題材を油彩で描いたものである。こちらのほうは明らかに処刑の様子だとわかる。スペイン人たちは、上の絵とは違って、丸腰で、なかにはホールド・アップしているものもある。そんなスペイン人たちに向かって、フランス兵が一列になって銃を構え、あるいは発射している。そのフランス人たちに、人間をうかがわせる表情がないことは、上の絵と同様である。 地上に置かれたランプの光で、被処刑者たちの姿がくっきりと浮かび上がる。とりわけ、ホールド・アップした男の、感極まった顔が印象的である。処刑される男たちの足元には、銃殺された人間の死体が横たわっている。これが一瞬後の彼らの姿なのだ。 背景の暗闇には、大勢の人が控えているが、彼らが見物人なのか、あるいはこれから自分の番を待っている被処刑者なのかは、よくわからない。なお、この油彩画は、後年のマネの作品「皇帝マクシミリアンの処刑」に影響を与えた。 (1814年、キャンバスに油彩、266×345cm) |
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