壺齋散人の 美術批評
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墓地へ:ゴヤの版画



(山積みにして墓地へ)

版画集「戦争の惨禍」には、多くの死体を墓地に運んでゆく場面や、死体が折り重なった墓地の場面を描いたものが何枚かある。これはその一枚。死体を車に山積みにして、墓地へ運んでいこうとする場面を描いたものだ。

画面左手には、若い女の死体を車に積み上げるところが、また、右手奥には、建物の地下室らしきところから死体を外に運び出す光景が描かれている。左手の若い女もまた、うしろの地下室らしいところから引きずり出されてきたのかもしれない。

山積みにされた死体というのは、いかにも陰惨な印象をもたらすが、この絵の場合には、若い女の死んだばかりの肉体を入れることで、情景の悲惨さを逆説的に際立たせる効果を発揮している。死は、死ぬべきでなかった者のもとを訪れるときに、もっとも強い印象を発揮するものなのである。


(虚無・事実が物語るだろう)

これは、死体が折り重なった墓地のイメージを描いたものだ。死体の多くは腐乱し、中には骸骨になったものもある。その骸骨のひとりが、腰に置かれたペーパーに右手をさし伸ばしている。ペーパーには「虚無」という字が書かれている。おそらくこの骸骨の主は、この文字をペーパーに書きつけながら、死んでいったのであろう。ということは、彼は生きたまま、葬られた可能性がある。

「虚無」という言葉で、この骸骨の主は何が言いたかったのか。いろいろな解釈がなされてきたが、もっとも有力なのは、戦争がもたらすものは「虚無」以外にはない、という解釈だ。どんな理屈も戦争を美化することはできない。戦争は絶対の悪なのであり、それがもたらすのは「虚無」のみなのだ、ということだろうか。

この絵は、図柄の陰惨さといい、虚無という言葉といい、ゴヤのペシミズムの極致をあらわすものと受け取られてきた。なかにはこれを、ゴヤの無神論のあかしだと受け取る見方もある。





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