壺齋散人の 美術批評
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闘牛士の死:ゴヤの版画



(マドリード闘牛場におけるペペ・イーリョの悲劇的な最後)

闘牛は非常に危険な競技であるから、時には闘牛士が死ぬこともあった。とりわけ、1801年5月11日に、マドリードの闘牛場でペペ・イーリョが牡牛の攻撃で死んだことは、大きな反響を沸き起こしたという。その場面は、ゴヤも現場で目撃しており、その折の鮮明な記憶をもとに、当版画集のために三点の絵を制作した。これはそのうちの一枚。三枚のうち、この版画集の初版に採用されたのはこれだけである。ゴヤは、この絵を33点の最後に位置づけたのである。

ペペ・イーリョは、闘牛士としてはインテリで、闘牛技の解説書である「ラ・タウロマキア」の著者としても知られていた。ゴヤも、この本の愛読者だったといわれる。

ペペ・イーリョは、牡牛の突進を避けられず、角に引っ掛けられた挙句、地面に叩き落されたところを、さらに角で突き刺されて死んだという。この絵は、そのクライマックスの場面、牡牛が角でペペ・イーリョを突き刺す瞬間を捉えている。


(ペペ・イーリョの死その二)

これは、ペペ・イーリョの死をテーマにした三点の作品のうちの二点目。第二版の38番目の図柄として挿入された。牡牛が角でペペ・イーリョを引っ掛け、そのまま振り回しているところを描いたもの。

牡牛のすさまじい剣幕を前に、角に引っ掛けられたペペ・イーリョは、ほとんど無防備でなされるがままといった様子だし、彼を助けようとして駆けつけてきた仲間たちも、なすすべがないといった様子だ。

おそらくこのシーンが、これを目撃した人々に強烈な印象を与えたのであろう。王妃マリア・ルイーサをはじめ多くの人々が、眼前に目撃したこの悲劇的な事件について、さまざまな形で語った。当時のスペイン人にとって、闘牛は、いろいろな面で関心をそそられる出来事だったことがわかる。





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