壺齋散人の 美術批評 |
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大阿呆:ゴヤの版画「妄」 |
(大阿呆) スペイン語の阿呆という言葉には道化という意味もある。阿呆=道化は、スペインの民俗誌的なキャラクターとして、長い歴史を通じて愛されてきた。イタリアのアルレッキーノ、フランスのピエロのようなものだ。だが、その人気の割には、芸術的な表現の対象とされることは、あまりなかったようである。ゴヤは、阿呆をテーマに取り上げた数少ない芸術家の一人である。 この絵の中の阿呆は、巨大な体つきをした大男ということになっている。それで「大阿呆」と呼んだわけだろう。この阿呆は、両手にカスタネットを持ち、温和な表情をしているのだが、なぜか周囲のものから恐れられている。大男の背後には、恐怖におののく人間の頭が浮かんでいるし、大男の前には二人の人物がパニックに陥っている。しかも、いい男が女の背後に隠れて、大男の視線から逃れようとまでしている。 大男の主観的な温和さと、周りのものの客観的なパニックとを同居させることで、ゴヤは何を言いたかったのか。 (大男) これは、1818年製作の版画。大きな背中をこちらに向けて、でんと座った男を描いている。この男の表情には、道化を思わせるところはないことから、たんに大男を描いただけのものと考えられる。ゴヤは、大男が好きだったのかもしれない。 (巨人) この絵は、近年になって、ゴヤの工房で、弟子たちによって描かれたことが明らかになった。だが、その主題には、ゴヤの介入を認めることができる。これは、フランス兵によって踏み荒らされたスペインの大地の上に、巨人が出現した様子を描いているのだが、これこそは、ゴヤの版画集「気まぐれ」と多くの点で共通するテーマだからである。 |
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