壺齋散人の美術批評 |
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ヘンリー・フォード病院 フリーダ・カーロの世界 |
フリーダ・カーロは1932年7月に流産を体験した。「ヘンリー・フォード病院(Henry Ford Hospital)」と題されたこの絵は、その際の体験を表現したものである。画家が流産をモチーフに絵を描いた例はこれ以前にはなかった。しかも、女性の画家が自身の流産体験をあからさまに描いたことは、前代未聞のことであった。 フリーダは、1930年11月以降、ディエゴとともにアメリカで暮らすことが多かった。ディエゴにアメリカでの壁画の仕事がオファーされたためである。1932年4月から1年間、ディエゴの壁画の仕事でデトロイトに滞在中、妊娠に直面した。フリーダ自身は、出産に前向きではなかった。自分の体がそれに耐えられるか疑問だったし、だいいち夫のディエゴが子どもを欲しがらなかったからだ。 そこでフリーダは、有名な外科医レオ・エレッサーに相談したりした結果、流産の処置を受けることとした。この絵は、その様子を描いたものだが、絵の中のフリーダは、涙を浮かべて子どもの死を悲しんでいる。ベッドに横たわったフリーダの周囲には、死んだ胎児をはじめ、流産にかかわりのあるイメージが描かれている。自分で流産を選んでおきながら、その結果に罪悪感を抱いている様子が伝わってくる。 (1932年 金属プレートに油彩 30.5×38㎝ メキシコシティ ドロレス・オルネド美術館) |
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