壺齋散人の美術批評
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私の衣装がかかっている、あるいはニューヨーク 
フリーダ・カーロの世界




フリーダは、「メキシコとUSAの国境に立つ自画像」において、メキシコへの郷愁とアメリカへの軽蔑を表現したが、「私の衣装がかかっている、あるいはニューヨーク(Allá cuelga mi vestido o New York)」と題するこの絵は、アメリカへの軽蔑に焦点をあてたものである。

リベラとフリーダは、サンフランシスコとデトロイトを経て、1933年の3月にニューヨークに移った。ロックフェラー・センターの壁画を制作する仕事のためである。リベラはアメリカが気に入って、いつまでも滞在するつもりだったが、フリーダはアメリカの俗物性にうんざりしていた。リベラがアメリカを去ってメキシコに戻る気になったのは、ロックフェラー・センターの仕事をキャンセルされ、しかも破壊されたことに腹をたてたためだ。その壁画にリベラはレーニンの肖像を描き入れたのだったが、それがネルソン・ロックフェラーの逆鱗に触れたのだった。

この絵には、フリーダ自身の姿は描かれていない。フリーダのお気に入りだったメキシコの民族衣装テワナが描かれている。そのテワナを囲むようにして、ニューヨークの俗悪さを象徴するような景色が描かれている。その俗悪さは、便器でも強調されている。ニューヨークは糞のような街だと言いたいかのようである。便器とならんでトロフィーが見えるが、トロフィーもアメリカ人の俗物根性の象徴のようなものである。

(1932年 メソナイトに油彩とコラージュ 45.5×50.5㎝ フーヴァー・コレクション)



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