壺齋散人の美術批評 |
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ジョン・コンスタブルの風景画 |
ジョン・コンスタブル(John Constable 1776-1837)は19世紀前半におけるイギリス美術を、ターナーとともに代表する画家である。二人とも風景画を得意とした。コンスタブルのほうが、イギリスの風景画の伝統を体現しているといってよい。かれの絵のおかげで、イギリスの風景画の美術的価値が、海外にも知られるようになった。 ゲインズバラと同じく、イングランド東部のサフォーク州に生まれた。父親は裕福な商人で、トウモロコシの売買にかかわっていた。三人の息子のうち二番目のジョンに家業を継がせたいと思い、本人もその気でいたのだが、次第に画家になりたいと思うようになり、父親もそれを許した。家業は末弟が継いだ。 コンスタブルの画家としての修行は、非常に遅かった。最初は自己流で風景画を描いていたが、23歳でローヤル・アカデミーの学校に入り、そこで、ゲインズバラ、クロード・ローラン、ルーベンス、ロイスダールなどの画風に学んだ。特定の教師について学んだということではないようである。 「ウィヴェンホー・パーク(Wivenhoe Park)」と題されるこの絵は、コンスタブルの初期の代表作。とはいえ、この絵を制作していたときのコンスタブルはすでに40歳になっていた。その当時の彼のパトロンにフランシス・リーボウという人がいた。リーボウはコンスタブルの父親の友人でもある。コンスタブルには、娘の肖像画の制作などを注文していたが、この絵もまた、リーボウの注文に応じて描いたものだ。リーボウは、自分が所有する広大な庭園を絵にすることで、有産階級の虚栄心を満足させたかったのであろう。 この庭園は80ヘクタール以上もある広大なもので、中央部をトアー川が流れており、川にそって広大な牧場があった。絵は、そうした光景を描いている。画面の遠景に見えるのは、リーボウの屋敷であろう。 右端に描かれているボートには二人の人物がいるが、そのうち赤い服を着ているのは、リーボウの娘である。コンスタブルはこの娘が七歳の時の肖像画も描いている。 この絵を気に入ったリーボウは、コンスタブルに多額の報酬を支払った。その金でコンスタブルは、幼馴染で長い間の愛人であったメアリー・ビックネルと正式に結婚することができた。 (1816年 カンバスに油彩 56・1×101.2㎝ ワシントン、国立美術館) 白馬 コンスタブルの風景画 ストラットフォード・ミル コンスタブルの風景画 乾草車 コンスタブルの風景画 ソールズベリー大聖堂(司教の庭から) コンスタブルの風景画 水門 コンスタブルの風景画 コーンフィールド コンスタブルの風景画 デダムの谷 コンスタブルの風景画 ハドリー城 コンスタブルの風景画 牧草地から見たソールズベリー聖堂 コンスタブルの風景画 |
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