壺齋散人の 美術批評 |
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帽子をかぶった女(Femme au chapeau):マティス、色彩の魔術 |
マティスが画家として一躍脚光を浴びたきっかけは1905年の秋にパリで開かれた第二回目のサロン・ドートンヌ(秋のサロン)だった。このサロンは、春のサロンが伝統的な格式を誇っていたのに対して、始まったばかりということもあって、比較的自由な雰囲気に囲まれていた。そこにマティスは、従来の絵画の常識を覆すような奇想天外な作品をいくつか展示し、それがいろいろな意味で大きな評判となったのだった。「帽子をかぶった女(Femme au chapeau)」はその時に出品された絵の一つであり、もっとも大きな反響を呼び起こした。 一見したところ、色彩が無秩序に氾濫しているように見える。フォルムもかなり乱れている。ということは、絵とは色彩とフォルムの調和からなるとする従来の絵画についての常識と全く折り合わない世界が、ここには見られるということだ。綿密なデッサンにもとづいて、丁寧に着色されているというイメージは、この絵からは伝わってこない。画家がチューブからひねり出した絵の具をそのままキャンバスの上に塗りたくり、こね回しただけではないか、そんなふうに伝わってくる。見たところ肖像画のように見えなくもないが、こんな肖像画を描かれたらモデルが怒り出すだろうと心配されるほど、人体の、あるいは顔の表情の、繊細さは伝わってこない。「まるで、野獣のようだ」、そういったのは、このサロンを取材した美術批評家のルイ・ヴォーセールだ。ヴォーセールはそれを悪口としていったつもりらしかったが、それがマティスとその仲間たちに付けられたニックネームとなった。フォーヴォズムという言葉の誕生である(この言葉をマティス自身は好まなかったということだ)。 このサロンには、マティスのほか、マンギャン、マルケ、ヴラマンク、ドランといった仲間の連中の絵も展示されたが、マティスとその仲間の連中の作風は一からげに分類されてフォーヴィズムと呼ばれるようになったわけである。それに対する最初の反応はあまり芳しくなかったが、中にはアンドレ・ジードのように、これを積極的に評価し、時代を画する新しい芸術の誕生だと褒めてくれるものもあった。 いづれにせよ「帽子をかぶった女」と題されたこの絵は、フォーヴィストとしてのマティスの誕生を告げる記念碑的な作品となった。この作品のモデルは、マティスの妻アメリーである。彼女は、この作品と前後して描かれた「緑の筋のあるマティス夫人」のモデルにもなっている。二つとも、鼻筋が緑の線で描かれていることが特徴である。 なおこの作品は、レオとガートルードのスタイン夫妻が購入した。彼らは絵を見る目が肥えているとの評判だったが、それでもこの絵を見て、「これまで見た中でもっとも醜い絵だ」と言ったそうである。(1905年、キャンバスに油彩、81×65cm、個人蔵) |
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