壺齋散人の 美術批評
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聖人たち(右列):ミケランジェロ「最後の審判」




キリストの左手、画面向かって右側にも、聖人たちの群像が描かれている。ところがこの部分については、マタイ伝には次のように記述されている。

「25:41それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。 25:42あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、 25:43旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。 25:44そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。 25:45そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。 25:46そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」(口語訳聖書)

聖人どころか、呪われた人々がキリストの左手にいると書かれているわけであるが、何故かミケランジェロは、自分で勝手に解釈を変えて、キリストの左手にも聖人たちを配した。マタイ伝の記述を、壁画全体の構図にあわせて、解釈しなおしたのだと思われる。善悪の配置を単純な左右への配置から、立体的に再配置しなおしたわけである。

ここに描かれている聖人たちは、いずれも殉教した人々である。彼らが手にしているものが、殉教の際に用いられた拷問の責具だとされる。



画面上手でキリストのほうを向いている白髭の老人は聖ペテロ、その左下の人間の生皮をぶら下げているのは聖バルトロメオ。聖バルトロメオは生皮をはがれて殉教したことになっている。彼がぶら下げているのは自分の生皮なのである。なおこのバルトロメオの像は、ミケランジェロの自画像だとされる。





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