壺齋散人の 美術批評
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光と闇の分離:ミケランジェロ「システィナ礼拝堂天井画」




システィナ礼拝堂天井の縦軸に沿った中心線沿いに、ミケランジェロは創世記から選んだ九つの場面を描いた。そのうち、「最後の審判」が描かれている祭壇側、すなわち東側の壁に最も近いところに、「光と闇の分離」を描いた。これは、創世記の冒頭部分に記されている、神による光と闇の分離をイメージにしたものである。

創世記第一章第一~五には次のようにある。「1:1はじめに神は天と地とを創造された。 1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である」(口語訳聖書)

この部分全体は、中央に神のイメージを描いた絵を配し、その周囲に四人の裸体像を配している。



これは神の部分を拡大したもの。神が人間の老人のイメージで表され、その老人を囲むようにして光と闇とが描き分けられている。左手の黒っぽい部分が闇を、右手の白っぽい雲のような部分が光を表すのだろう。神を老人のイメージで表すのは、ミケランジェロに限らない。



これは四人の裸体像の一つ。システィナ天井画の裸体像の中でももっとも人気の高いもので、イタリアの切手にも採用されたことがある。この絵の左下には、どうも人間の男性の亀頭を思わせるイメージが沢山描かれている。それらの亀頭はいわゆる半かぶり、つまり包皮が完全に剥けていないありさまを呈している。裸体像本体の股の間から覗いている亀頭もやはり半かぶりの状態である。

イタリアの男は半被りが多い、ということがよくわかる一点である。





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