壺齋散人の 美術批評
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大地と水の分離:ミケランジェロ「システィナ礼拝堂天井画」




「天体の創造」に続いて「大地と水の分離」が描かれているが、この二つの話の順序が原典の創世記とは逆になっていることは、前回言ったとおりである。「天体の創造」に対応する創世記の箇所は第一章6~13、神の創造行為のうち二日目と三日目にあたる部分である。そこには次のように記されている。

「1:6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 1:7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。 1:8神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。1:9神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。 1:10神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。 1:11神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 1:12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。 1:13夕となり、また朝となった。第三日である」



これは神の行動を描いた部分。神が命令をしているところを描いているのは、先行する「天体の創造」と同様だが、創世記の記述の中にある、大地と水の区分や植物の発生などについては触れられていない。神はただ空中を逍遥してなにやら呪文を唱えながら創造行為に耽っているように描かれている。



これは中心のイメージを取り巻く四人の裸体像の一つ。





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