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モイズ・キスリング:モディリアーニの肖像画




モイズ・キスリングはポーランド生まれの画家で、まだ19歳だった1910年頃に故郷のクラコフからパリに出てきて絵の勉強に励み、1912年頃からは、ピカソやブラックらの活動拠点であったモンマルトルのバトー・ラヴォアールの近所に移り住んだ。だがそれと入れ替わるように、ピカソはモンパルナスに移っていった。

モディリアーニがキスリングと会ったのは1914年頃のことだとされる。キスリングはその前年の1913年にモンパルナスの建物に映ってきたが、そこに画家のパッシンも住んでおり、また後にモディリアーニも移り住んできた。モディリアーニはベアトリス・ヘイスティングズとの共同生活をするためにここへやってきたのだが、先住民のキスリングと意気投合したということらしい。キスリングは早熟な画家で、モディリアーニよりも早く有名になっている。

モディリアーニはキスリングの絵を何点か描いたが、この作品は1915年に描いたもの。強い輪郭線やアーモンド形の眼がすでにモディリアーニらしさを感じさせるが、強い意志を感じさせる視線などは、他の作品にはなかなか見られないものだ。おそらくキスリングと言う人物の発するオーラのようなものに、モディリアーニが反応したということだろう。モディリアーニの作品としては過渡的なものといえる。

(1915年、キャンバスに油彩、37×29cm、ミラノ、個人蔵)





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