壺齋散人の 美術批評
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マドンナ:ムンクの不安





1890年代のなかばに、ムンクは「生命のフリーズ」と称する一連の作品を制作する。「マドンナ」と題するこの絵は、そのシリーズの中核となるものである。この絵を通じてムンクは、生命と死を二つながら表現しようとしたといわれるが、どこに生命と死を読み取るべきか、さまざまな解釈がなされてきた。

この絵は、ムンクやその仲間たちお好みのファム・ファタールを描いているといわれる。ファム・ファタールといえば、すぐさま死が連想される。ファム・ファタールの権化とされるユーディットやサロメが、死の象徴だからだ。一方、生命は、この絵の中の女性の肉体から伝わってくる。それをもっとも象形的に現わしているのが彼女の唇だ。それは真赤に塗られている。ということは肉感的な命の表現であるわけだが、それは同時にファム・ファタールが流した男の血を連想させもする。

この絵のモデルは、ムンクの友人プシビシェフスキの妻ダグニーだとされる。ダグニーは多感で好色な女だったらしく、夫の友人たちを性的に誘惑したらしい。ムンクもその一人で、彼女に惚れていたといわれる。だから、この絵の中には、彼女にたいするムンクの思慕が込められているようなのだ。

女の肉体の実在感は、豊かな胴体によって現わされているが、彼女はその胴体をムンクに抱かせることはない。背景に溶け込むように交代する腕が、男の抱擁を拒絶しているからだ。この男の抱擁を拒絶する女のイメージに、ムンクは彼女に対する自分のやるせない思慕の念を盛り込んだのだといえる。

この女性は、1901年に夫の友人の一人によって殺された。夫がそれを望んだと、その殺人者は言ったそうだ。



これは、同じモチーフのリトグラフ版。額縁に収まったという体裁をとっている。その額縁に、生命のシンボルである精子が描かれる一方、左端には、ミイラ化した嬰児が描かれている。両者あいまって、生命と死とを組み合わせているわけである。

(1894年 カンヴァスに油彩 90.5×70.5cm オスロ ムンク美術館)




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