壺齋散人の 美術批評
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海辺の母子像:ピカソ、子どもを描く




1901年の二度目のパリ滞在中、ピカソはサン・ラザール監獄に足しげく通った、そこに収監されていた娼婦たちをモデルに絵を描くのが目的だった。ピカソに限らず多くの画家の卵が、タダでデッサンさせてくれるこの場所に出かけていったものだという。

この監獄がピカソを驚かせたことの一つに、女の囚人たちが子どもと一緒に暮らすことを認められていたことだった。ピカソは、そうした子どもと一緒にいる女たちを好んで描くようになる。自分ではヒューマニストの画家のつもりでいたと、あとで回想しているそうだ。

ピカソは翌1902年の1月にバルセロナに戻ったが、相変わらず子どもと一緒にいる女にこだわり続けた。「海辺の母子像」と題したこの絵も、そのような関心から生まれた絵である。

青の時代の絵らしく、青を基調とした色彩配置である。海は青で描くのには相応しい対象だ。その海をバックに子どもを抱いた女が物悲しげに立っている。そのもの悲しさは、サン・ラザール監獄の女たちから得た印象が引きずっていたものだろう。

女が左手で持っている一輪の花が、寒色のなかの唯一の暖色となって、画面に彩りを添えている。専門家によれば、女が花を手に持つのは、自分が性病にかかっているという合図だそうである。

(1902年、キャンバスに油彩、81.5×60.0cm、日本、個人蔵)





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