壺齋散人の 美術批評
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眠る女:フェルメールの女性たち





「眠る女」は、「取り持ち女」と同時期かその直後に描かれたと考えられる。カラヴァッジオの影響で光を強調しようとしながら、それを前面の一部の空間に限定した為に、構図上のバランスが崩れ、その結果技巧的な未熟さを感じさせるからだ。だが、一人の女性に焦点を当てていること、歴史や宗教への感心を感じさせないことなどは、その後の作風に通じるところがあり、フェルメールの画業の中での過渡的な作品だと位置づけることができよう。

「眠る女」というタイトルはフェルメール自身がつけたものではない。1696年にアムステルダムで売りに出されたとき、「酔って食卓で眠る女」というタイトルがつけられ、それ以来「眠る女」として知られるようになった。ここで「食卓で酔って眠る」とあるとおり、この若い女は、ただまどろんでいるというよりは、おそらくワインを飲んで酔ってしまっているのである。

それ故この絵は、単なる肖像画ではなく、寓意を込めた教訓画として受け止められてきた。そういう受け止め方からすると、この若い女は、ふしだらな行為をしているということになり、人々はこの女を反面教師にして、道徳的で正しい生き方をするように自らを律しなければならない、ということになる。

こうした見方に立てば、雑然としたテーブルの上に立っている壺がワインの壺であるとされるのはごく自然なことだ。また、女の頭上にかかっている絵をよく見ると、そこには天使の足が見える。この絵は、エフェルディンヘンという画家の描いた絵なのだが、モチーフは仮面をつけた天使である。それが愛欲の象徴であることから、この女が単に酒を飲んで酔っ払っているだけではなく、愛欲への欲望に耽っていることも暗示されている、ということになる。



これは、若い女の部分を拡大したもの。女の表情や服装からして、身分の低い女中ではなく、この家の女主人ではなかろうかと思わせる。もしそうなら、彼女の愛欲への衝動は余計に罪深いということになる。(カンヴァスに油彩 87.6×76.5cm ニューヨーク、メトロポリタン美術館)






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