壺齋散人の 美術批評
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天秤を持つ女:フェルメールの女性たち





「天秤を持つ女」は「手紙を読む青衣の女」とほぼ同じ時期に描かれた。どちらも女性の立ち姿を大写しで描いているところが共通している。また、一方は手紙を読み、もう一方は天秤を測る、と言う具合に、していることは異なるが、その行為に熱中している女性の表情を描いているところは共通している。

両者の違いの最大のものは光の表現だ。「手紙」では光源が明確には示されず、光はほぼ画面全体に偏在しているが、この絵では、光源は左上の窓のあたりにあって、そこからさしたほのかな光が部屋の一部をかすかに明るくしている。光源の位置からして、光は画面の左上から右下に向かって差し込み、光の当たらない窓下の部分はほとんど暗黒である。

かすかな光の中に浮かび上がった女性は、左手をテーブルにつき、右手で天秤を持っている。よく見ると、天秤には何も乗っていないから、女性はそれで何かの重さを測っているのではなく、二つの天秤皿のバランスを測っているだけだというふうに見える。女性は何のためにそんなことをしているのか。美術史上の謎の一つとされてきた。

手がかりになるのが、壁にかけられた絵だ。絵には最後の審判の様子が描かれている。最後の審判はいうまでもなく、人間の生前の振る舞いの意義を秤にかけて裁断する。それが天秤でものの重さを量るという行為を連想させることから、この絵は、人間の運命を測るという宗教的な寓意を込めたものだとの解釈も生まれた。

「青衣の女」同様、この絵の中の女性もゆったりとした上着を着ている。とくにウエストの部分がゆったりと広がっていて、あたかも妊娠した腹を思わせる。そんなことからこの絵も妊婦を描いたのではないかとの解釈もなされた。

テーブルには真珠の飾り物が置かれ、それが光って見える。これもまた憶測を呼んだところで、その中には、真珠によって虚栄心のむなしさを表現していると解釈するものもあった。最後の審判を前にしては、そんなものには何らの価値もないというわけである。



これは、女性の部分を拡大したもの。フードや衣装のフリルの白い色がハイライトとなって、全体的に暗い画面から浮かび上がることで、絵にダイナミズムを生じさせている。(カンヴァスに油彩 42.5×38cm ワシントン、ナショナル・ギャラリー)






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