壺齋散人の 美術批評
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赤い帽子の女:フェルメールの女性たち





「赤い帽子の女」は、次に取り上げる「フルートを持つ女」とともに、フェルメールの真筆を疑われることのある作品である。フェルメールの絵のほとんどは、中サイズのカンヴァスに描かれているのに対して、この二つは非常に小さいサイズの板に描かれていること、いづれも20世紀になって発見されたが、それまではこれらの存在を裏付けるような手がかりが存在せず、発見者の直感によってフェルメールの作品だとされたこと、などによる。だが今日では、これらをフェルメールの作品と認める美術関係者が多数派を占める。

「赤い帽子の女」は、1925年に、当時この絵を所有していた貴族の館で、これを見たパリ国立美術学校の学芸員が、フェルメールのものに違いないと判定して以来、フェルメールの作品リストに加えられるようになった。その当時から、真筆をめぐって議論があり、1995年のフェルメール展では、この作品を真筆とする主催者側の主張と、それを否定する側との議論が巻き起こった。

否定する側の根拠は、上記の理由のほか、背景の描き方や、手前の女性の表情の描き方がフェルメールの通常のものとは大きく異なっているという点である。この絵の背景には巨大な画中画のようなものが見えるが、たしかにこれは他の作品のどの背景にも似ていないし、その描き方もフェルメールにしてはぞんざいなところが感じられる。また、女性の表情も、開いた唇がどぎつさを感じさせることや、やや官能的に過ぎるといった特徴がある。帽子の形にしても、フェルメールのほかの作品からは、かなり隔たった独特の印象を与える。

面白いのは、女性の顔つきだ。よく見ると男性的な印象を感じさせる。このことから、この絵がフェルメール自身の自画像ではないかとの見方をするものもいる。レンブラントが1640年に描いた自画像は、この絵の中の帽子とよく似た形の帽子をかぶり、やはり同じような姿勢でこちらを向いている図柄であるが、それをフェルメールが取り入れ、自分を女性に見せかけて絵の中に取り入れたのではないか、と大胆な推論をしたわけである。

これをフェルメールの真筆だと前提すると、構図的には、「少女の頭部」とよく似ている。顔をこちらにむけた半身像は、方向を逆にしただけで、ほとんど同じポーズである。光源は右上にあり、そこから入ってくる光が女性の顔とその周辺を浮かび上がらせているところは、フェルメールのほかの絵にも多く見られる。



これは女性の顔の部分を拡大したもの。顔が大きな帽子の影になって、光は一部分にしかあたっていない。そこの部分が明るくなっているほかは、大部分は暗い。このように顔を暗く描く手法は、「合奏」でのチェンバロを弾く女においても見られた。ただこちらは絵の中心部分にそのような手法を適用しており、その分,暗い部分と明るい部分とのコントラストを強調し、観客の視線をそこに誘導するよう工夫されている。(板に油彩 23.2×18.1cm ワシントン、ナショナル・ギャラリー)






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