壺齋散人の 美術批評
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レースを編む女:フェルメールの女性たち





「レースを編む女」は、「牛乳を注ぐ女」と同様家事にいそしむ女性の姿を描いたものである。レースに限らず布を編んだり裁縫をしたりは、当時のフランドル社会では最も女性に相応しい仕事とされ、それらにいそしむ女性の姿は非常に素晴らしいと受け取られていた。そのような社会的背景があったために、当時はこのような主題の風俗画が多く製作された。フェルメールのこの絵も、そのような時代の動きを反映したものと考えられる。

「牛乳」の中の女性は、その姿からして、一見女中だとわかるが、この絵の中の女性は、若い主婦のように見える。編み物は主婦にこそもっとも相応しい仕事とされていたから、そう見ても不自然ではない。女性は作業台を前にして座り、両手を使いながら糸を編み、顔を前かがみにしながら、熱心に手先を見つめている。その表情には、働くことへの敬虔な気持ちが感じられる。

小さな画面のなかに、モチーフがバランスよく配置されている。女性の上半身を画面の中心に配置し、その手前に作業台とテーブルとを前後に置くことによって、小さな画面ながらそれなりの遠近感をかもし出している。ただし、手前左のテーブルが、真正面のやや上から眺め下ろしたように見えるのに、作業台の角度がそれとややずれているような印象を与える。しかしそんなに不自然には感じさせない。

これ以前のフェルメールの大部分の絵とは逆に、この絵では光は右方向から入ってきている。その光の扱い方は控えめだ。光の作り出す陰影が穏やかなのは、女の顔や上着に見て取れる。フェルメールのほかの絵に比べると、陰影のコントラストが弱いように感じられる。それは、女の姿と背景との間でも認められるところで、女は背景からくっきりと浮かび上がっているよりも、背景になじんでいるように見える。

左手のテーブルの上の紺色のバッグからは、白と赤の糸がはみ出ているが、それらはまるで水が流れているように見える。また、この糸の先の部分や女の手のまわりに、多くの点描を施しているのが見える。水のように流れるものとか、点描を施したところは、おのずから人の視線をひきつけるので、フェルメールは女の手のまわりにこれらを描きいれることで、観客の視線を女の手先に誘導するよう試みたのだとも考えられる。



これは女の部分を拡大したもの。顔をうつむけて、熱心に手先の作業を見つめているところは、ある種の精神性を感じさせる。女の髪の描き方がややぞんざいだとの指摘があるが、その分手前にある小道具類がきめ細かく描かれているので、全体としてのバランスは取れているといってよい。(キャンヴァスに油彩23.9×20.5cm パリ、ルーヴル美術館)





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