壺齋散人の 美術批評 |
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ギターを弾く女:フェルメールの女性たち |
「ギターを弾く女」は、フェルメールの最晩年に近い頃(1670年代初め)の作品だと考えられる。最晩年のフェルメールは、全盛期に比べて構図に締りがなくなり、彩色技術にも手抜きが目立つという厳しい評価があるが、この絵はそうした評価が(残念ながら)あてはまる作品だと言えよう。 まず、構図。部屋の片隅に座ってギターを弾く女を描いているが、その女が画面の左側に寄りすぎている。その結果、ギターを爪弾く右手が画面からはみ出しているが、なぜそうしなければならぬのか、構図上の必要性は見当たらない。また、女の頭上に架かっている絵のおかげで、画面が左右に分裂している印象を強く与える。この絵の位置が、画面の上部中程にあれば、構図はずっと締まったはずである。 部屋の窓は画面右手に開いているが、これは光源としての意味をもっておらず、その結果、絵の中での働きがまったくない。死んでいると言っても良い。窓の下には本を重ね置いた机が描かれているが、非常に暗くなっている為に、あまりインパクトをもたらさない。この机と窓を含めて、画面の右半分は、ほとんど画面の構成に積極的な役割を果たしていない。やはり、女の体をもっと中程に寄せ、画面右手をもうすこし明るくすべきだったと悔やまれる。 ギターを弾く女の姿勢には無理なところが無く、かえってチャーミングさも感じさせるほどだが、顔の陰影や衣装の襞の描き方には、手抜きが見られる。光が、画面手前の上部から差していることを勘定に入れても、女の顔の大部分に暗い影が差しているのはインパクトにかける描き方だ。衣装のほうは全体に明るく描かれているのだから、顔ももっと明るくてよかったはずだ。 その衣装だが、これもかなりぞんざいな描き方だ。特に、右肩のあたりの横の線などは、それだけが浮かび上がったように見えて、不自然さを感じさせる。これに限らず、衣装の襞の描き方は、かなり投げやりである。 なお、この絵は、1974年に展示場所のロンドン・ケンウッド・ハウスから盗まれたことがある。警備がゆるかったのが原因だと言われている。いまでは、厳重な警備が施され、そう簡単には盗めないようになっているそうだ。 これは女の部分を拡大したもの。顔の陰影を他の部分より強めにしたのは、観客の視線をそこに導こうという意図からだろう。ギターの共鳴用の穴がふさがっているように見えるが、当時のギターはこのような形状だったのか。(カンヴァスに油彩 53×46.3cm ロンドン、ケンウッド・ハウス) |
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