壺齋散人の 美術批評
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信仰の寓意:フェルメールの女性たち





「信仰の寓意」は、「絵画芸術」とよく比較される。どちらもフェルメールとしては非常に大きな画面であること、また構図的にも非常に似ていることが、主な理由である。構図については、これが同じ部屋の中を、同じ角度から描いていることがわかる。小道具の種類や置き場所については異同があるが、天井と床、それに左手の分厚いカーテンなど、全く同じ場所であるし、遠近法の演出方法も同じである。

また、両者とも寓意を込めているという共通点がある。一方は歴史の女神を、もう一方は人間の信仰をそれぞれ寓意しているというものだ。この絵の中の女性が、その信仰を寓意した姿であり、女性が右足を乗せているのが世界、背後の壁にかけられた画中画がキリストの磔刑を通じて、人々を深い信仰に導くというふうに解釈されている。

この解釈の背景として、当時流通していたチェザーレ・リーパの寓意集のテクスト「イコノロジア」の影響を指摘するものもある。それによれば、信仰は腰を下ろした女性の姿で示され、その右手は敬虔に杯をかかげ、左手はキリストを意味する一冊の本の上におき、その足の下には世界があるというイメージであらわされている。フェルメールはこのイメージに動かされて、この絵を描いたのだろうと解釈するわけである。

この解釈は「信仰の寓意」というタイトルに影響されたものともいえる。しかし、「絵画芸術」がフェルメール自身の命名でなかったように、この「信仰の寓意」というタイトルもフェルメールの命名だとする決定的な証拠は無い。フェルメールの死後始めて売りに出されたときに、画商によって勝手に付けられた可能性もある。

だが、虚心にみれば、この絵の中の女性は、かなり変ったポーズをとっており、フェルメールの他の作品のどの女性とも似ていない。これだけが孤立している。従ってフェルメールがこの女性に、特別な意味を込めた可能性は大いに考えられるわけで、その意味合いが宗教的なものであってもおかしくないと言える。この絵は、オランダの豊かな階層の人から、信仰の対象として依頼されたのではないかとの推測もある。

光は、「絵画芸術」と同じように左から指しているが、「絵画芸術」のように光源を明らかにしておらず、またその光の表現もずっと控えめになっている。女性の姿に陰影を施す際に光の方向を考慮したといった程度で、光に対する関心が非常に弱いというのがこの絵の特徴と言える。



これは女性の部分を拡大したもの。女性は右手を胸にあて、顔を斜め上に向けて何かに見入っているように見える。その表情はうつろなものを感じさせるところから、見ているものが宗教的な意味合いを帯びていると思わせる。女性の顔や衣装の襞などの陰影は、ややぞんざいに処理されている。(カンヴァスに油彩 114.3×88.9cm ニューヨーク、メトロポリタン美術館)





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