壺齋散人の 美術批評
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聖アントニウスの誘惑:ブリューゲルの版画




1556年の年末に、ブリューゲルはボスの作風を思わせるような、新たな作風で描き始めた。「聖アントニウスの誘惑」と題した絵がそれである。

それまで描いていた風景画とは明らかに異なった作風の絵をなぜ描くようになったのか、詳しい事情は分からない。ともあれブリューゲルはこれ以降、版画の形でボス風の作品を次々と手掛けるうちに、自分の独自のスタイルを確立するようになり、ついにはその新しいスタイルを油彩画の形で展開するようになる。

ヒエロニムス・ボスは、ブリューゲルの時代においても人気のある画家であった。それ故絵の市場では、ボスの偽物が高い値段で取引されてもいた。そこに目を付けたコックが、ブリューゲルの才能を見込んで、ボス風の絵を描くように求めたことは考えられる。というのは、コックの出版したブリューゲルの版画の中には、ボスの名を偽ったものもあるからだ。

ボスは現代人にとってこそ、特異な画風と受け取られるが、まだルネサンスの息吹が吹いていた当時のフランドルにおいて、決して奇矯な画風とばかりは受け取られていなかったはずだ。

ルネサンス時代は、古代的なものの復活が図られたと同時に、中世以来の民衆文化にも光が当てられ、それが露骨な形で表現された時代でもあった。フランソア・ラブレーの一連のグロテスク文学や、エラスムスの笑いの文学はその典型であるが、ボスはそうした民衆文化の息吹を、絵画の中に表現した作家だといえる。ブリューゲルがそんなボスの作風に親近感を抱き、それを手本にして自分の新しい世界を開こうと思うようになったのも、あながち不自然なことではない。

この記念すべき絵は、ボスの作品「聖アントニウスの誘惑」を意識したものだ。ボスの絵では、聖アントニウスを巡って、さまざまな誘惑の場面が三連式のシリーズとして展開され、その場面ごとに様々な悪魔や怪物たちが聖アントニウスにまとわりつく。それに対して、聖アントニウスは、半分は好奇の念を覚え、半分はそれらを無視して学問にはげむといった物語が展開されていた。

ブリューゲルのこの絵では、中心部に地獄の入り口を思わせる巨大な口の顔が据えられ、それを中心に様々な怪物が思い思いに行動している。一方聖アントニウスの方は、それらの怪物たちに背を向けて、一心不乱に書物に向かっているが、その正面には骸骨がアントニウスに向かって、あたかもそんなことは無効であると呼びかけているかのようだ。

地獄の入り口を巨大な口であらわすのは、この作品のほかにいくつか例がある。当時の民衆の偏見をそのまま取り入れているのかもしれない。

怪物たちの形象には、あきらかにボスのイメージを借りたものが含まれている。花瓶や鞴の怪物、擬人化された動物、人間の臀部のデフォルメなどである。





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