壺齋散人の 美術批評 |
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謝肉祭と四旬節の争い:ブリューゲルの世界 |
「謝肉祭と四旬節の争い」は「ネーデルラントの諺」同様1559年に描かれたものだが、当時の民衆の生活がいっそう生き生きと、詳細に描き出されている。評論家の中には「謝肉祭」はプロテスタントを、「四旬節」はカトリックを表し、当時のネーデルラントで進行していた、宗教対立を寓意的に描いたという解釈をするものもあるが、そうした解釈を超えて、民衆の生活をパノラマ風に描いたと受け取る方が生産的だろう。 この絵の中に展開されている民衆の生活ぶりは、版画「ホボーケンの縁日」の延長線上にあるものだ。「ホボーケンの縁日」でも弓術のギルドが詳しく描かれていたが、この絵の中にも当時の都市社会に存在したさまざまなギルドが描きこまれていると考えられる。 阿部勤也によれば、中世のヨーロッパ都市には、あらゆる職業ごとに組合(ギルド)があった。乞食、脚なえ、盲人、売春婦といったものまで組合を作っていた。この絵の中にもそうした組合が描きこまれている。乞食(右下)、盲人(その少し上)、脚なえ(中左寄り)などが明らかによみとれる。 画面手前の大樽に乗った太った男は謝肉祭の、その右側の痩せ細った男は四旬節のシンボルである。二人は互いに武器らしいものをかざして争っているようにも見えるが、彼らにつき従っている民衆にはそんな様子はない。どちらのグループもお祭り気分のようなにぎやかな雰囲気につつまれている。 画面ほぼ中央にはフードと帽子を被った二人組の後ろ姿が描かれ、その前を仮装した人物が松明をかざしながら先導している。これは道化を描いたものだ。道化は古来、お祭りにはなくてはならぬ存在だった。この絵の中の道化は、日中にもかかわらず松明をかざしている。それは逆さまの世界をシンボライズした仕草なのだろう。 (1559年作、板に油彩、118×164.5cm、ウィーン) |
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