壺齋散人の 美術批評
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聖家族の休息:クラナッハの宗教画



ヘロデ王の嬰児虐殺からキリストを守るために、ヨセフが聖母子を導いてエジプトに逃れる話は、画家たちの想像力を刺激したらしく、繰り返し描かれた。そのほとんどは、逃れる道筋でひと時の休息をしているところを描いており、デューラーもそのそういう構図の作品を複数作っている。クラナッハの場合には、このテーマにドイツ的な味付けをした。つまりエジプトではなく、ドイツの自然の中に聖家族を置いたのである。

デューラーの場合も含めて、このテーマが描かれるときには、聖母子が画面の中心を占め、ヨセフは脇に申し訳程度に描かれるのが普通であった。しかし、この絵では、ヨセフは画面の中心を占め、聖母子に対してまさに庇護者としての威厳を発揮している。右手には帽子を、左手にはステッキを持ち、こちら側へ、つまり絵を見ている人に向かって、顔を向けている。まるで、画家のためにポーズしているようだ。

また、聖母のほうも、キリストを抱きかかえながら、その顔をヨセフ同様こちら側に向けている。その表情は、厳かさよりも、母親としての愛情を感じさせ、ごく普通のドイツ夫人と変わらぬものを感じさせる。こんなところから、この絵には、依頼者の面影が込められているのではないかとの、推測もなされるところだ。

小天使の群れが聖家族を慰めるという発想は、デューらの場合にもあった。1502年につくった版画「エジプトにおける聖家族の休息」において、デューラーは大勢の天使たちを登場させて、聖家族をなぐさめる役回りを演じさせた。もしかしたらクラナッハは、デューラーのこの版画を見ていたのかもしれない。

その天使たちだが、この画面には8人が登場し、それぞれ縦笛を吹いたり、鳥を捕まえたり、泉の水を汲んだりしている。キリストの方も楽しそうな表情で両手を差し伸べているのは、遊びの輪に加わろうというのだろうか。

聖家族の背後には、モミの木が何本か聳えたっている。モミの木はもっともドイツらしさを感じさせる木だ。更にその先にはアルプスの風景が長閑に広がっている。

つまりこの絵は、エジプトにおける聖家族の休息という宗教的な題材を種にして、当時のドイツ人の家族の日常生活の一齣を描いた作品なのだ、ということができるようである。

(1504年、板に油彩、70.7×53cm、ベルリン国立美術館)





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