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ヨハン・フリードリッヒの少年時代:クラナッハの肖像画 |
1505年にザクセン選帝侯の宮廷に召し抱えられて以降のクラナッハの画業はあまりぱっとしない。独特の裸体画でドイツ絵画の歴史に足跡を刻むようになるのは、1530年代になってからである。それまでの約25年間、かれは量的にも質的にもぱっとした画業をあげることはなかった。では、その間何をしていたのか。宮廷お抱え美術家としての身分において、催し物の監督やら宮殿の装飾を行ったほか、宮廷に出入りする身分の高い人々の肖像を描いていた。 肖像画の中で注目すべきなのは、ヨハン・フリードリッヒ一世の少年時代を描いたものだ。ヨハン・フリードリッヒは、フリードリッヒ三世の弟ヨハンの子どもだが、フリードリッヒ三世に子どもがいなかったこともあって、将来選帝侯を継ぐことが予定されていた。つまり、事実上の皇太子だったわけである。その6歳の時の姿を描いたものがこの作品だ。 ヨハン・フリードリッヒは1532年にザクセン選帝侯位を継ぎ、寛容侯と呼ばれるようになったが、1547年に神聖ローマ皇帝カール五世によって選帝侯位と所領を奪われた。 けっして順調な生涯とはいえなかったわけだが、ニックネームから推察できるように穏やかな人柄だったらしい。その穏やかさは、6歳の少年の面影にも現れている。 なお、斜め横を向いた半身像で、両手を詳しく描き出しているところは、デューラーを通じてフランドル絵画の影響があると思われる。 (1509年、板に油彩、41.3×31cm、ロンドン、ナショナル・ギャラリー) |
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