壺齋散人の 美術批評
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デューラー1500年の自画像




1500年の年紀が記されたこの自画像は、デューラーが油彩で描いた最後の自画像である。そのすさまじいまでの迫力から、西洋絵画史上自画像の最高傑作とも呼ばれ、また、そこに込められた絵画外の意味についての様々な憶測を呼んできた。

この自画像は、これまでのネーデルラント風の肖像画と異なって、正面を向いている。手まで含めた上半身を描いていることは、これまでの肖像画と共通するのであるが、ただ単に正面を向いているというにはとどまらない。顔をはじめとした各部分に、独特の解釈が施されているようなのである。

一見してわかるように、長い髪を垂らした頭部は正三角形をしており、顔の中心線は画面の中心線と一致している。また、画面最上部の中心を頂点にして正三角形を描くと、底辺の線は画面を黄金分割するようになっている。そのことから、デューラーはこの絵に、人体比例の考え方を取り入れたのではないかとの憶測も生じたのだが、この絵を描いた時のデューラーは、まだイタリアの人体比例の思想を知らなかった。

ヴィンツィンガーは、キリストのイコンをめぐる中世の伝統的な手法を採用したのではないかと推測している。そのイコンは、ファン・エイク派も採用しているが、キリストの身体各部分相互に独特の比率を適用しようとするところに特徴があった。その比率とは、ピタゴラス的な新プラトン思想に淵源を発する数の神秘主義に基づくものである。ここでは詳細について述べる余裕はないが、この絵の各部分には、そうした神秘的な数字のマジックがひそんでいるというのである。

デューラーは、この絵にキリストのイコンを持ち込んだばかりではない。自分自身をキリストになぞらえているフシがある。キリストとしての自分を通して、人体の最高の美しさを表現しようとした、とも考えられるのである。

デューラーは、この絵を最後に本格的な自画像を描いていない。それは、自らをキリストと同一化することに起因しているのではないか、そんな推測も成り立つ。というのも、キリストは30歳前に死んだというふうに考えられていたからである。30歳を過ぎたデューラーにとっては、もはや自分をキリストに見立てる資格がない、と考えたのではないか。

デューラーにとっては、自画像は単なる肖像画にはとどまらなかった。それは、人間の理想的な姿を表現したいとする、やむに已まれぬ要求を表現する方法でもあったのだ。それは、自分自身をキリストになぞらえることによって達成される。この絵の中のデューラーはだから、キリストその人なのだともいえる。

(板に油彩、67.1×48.9cm、ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)





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